『無意識の思考』

イグナシオ・マテ‐ブランコの『無意識の思考──心的世界の基底と臨床の空間』(岡達治訳)を買った。
以前、『現代思想』(vol.24-No.12,1996)でブランコの「分裂症における基礎的な論理─数学的構造」(廣石正和訳)を読んだことがある。
無意識の論理は、科学的な二値論理を代弁する「一般化の原理」とそれからの違反・逸脱としての「対称の原理」からなるバイロジカルなものである。
ブランコはそのように規定した上で、数学の無限集合論を使って対称の原理の一つの帰結である部分と全体の同一性を考察している。
以下に、その「原理」を書き写す。

【一般化の原理】
1.無意識は個体(人間、事物、概念)を、他のメンバーもしくは要素を含む集合もしくはクラスのメンバーであるかのようにあつかう。無意識はこのクラスを、より一般的なクラスのサブクラスとしてあつかい、このより一般的なクラスを、さらにより一般的なクラスのサブクラスもしくは部分集合としてあつかい、以下同様に進んでいく。
1-1.クラスや上位のクラスを選ぶにあたって、無意識は、一面では一般性を増すとともに他面では出発点となった個体の個別的特徴を保持してもいるような命題関数を選好する。


【対称の原理】
2.無意識は、あらゆる関係の逆をその関係と同一のものとしてあつかう。いいかえれば、非対称的な関係を対称的であるかのようにあつかう。
2-1.対称の原理が適用されるとき、時間的継起はありえない。
2-2.対称の原理が適用されるとき、部分は全体とかならず同一となる。
2-2a.対称の原理が適用されるとき、ひとつの集合もしくはクラスのあらゆるメンバーは互いに同一のものとしてあつかわれ、また全体の集合もしくはクラスと同一のものとしてあつかわれる。したがって、それらのメンバーは、そのクラスを定義する命題関数をめぐって互換的なものとなり、またそれらのメンバーを区別するあらゆる命題関数をめぐって互換的なものとなる。
2-2aa.無意識は個体を知らず、クラス、あるいはクラスを定義する命題関数しか知らず、それゆえ個体を命題関数であるかのようにあつかう。
2-2aaa.クラスもしくは命題関数は個体の特徴をもつかのようにあつかわれる。すなわち、それらは「拡大された」もしくは「一般化された」個体のようなものである。
2-2b.対称の原理が適用されるとき、pかつpの否定というタイプに属するものを命題関数とするクラス、つまり定義のうえでは空となっているクラスが、空でないかのようにあつかわれることがある。
2-2c.対称の原理が適用されるとき、全体の各部分のあいだに隣接の関係はありえない。


この論文も含めてブランコのことは、中沢新一対称性人類学』(カイエ・ソバージュⅤ)でも再々言及されていた。
ブランコの研究は、中沢人類学(対称性人類学)において、神話の思考と無意識を結ぶ最後のリンクであったという(7頁)。
神話の思考の特徴は、現実世界の非対称性を反転する対称性の論理、イメージの圧縮や置き換えによる高次元的リアリティの表現、全体と部分がひとつながりになる「クラインの壺」の構造(高次元トポロジー)の三つに要約できる。
レヴィ=ストロースは「神話は無意識のおこなう思考である」と語った。
だとすると、ここにあらわれた特徴はすべて「無意識」のうちにそっくりみいだされなければならないはずだ。
無意識といえば精神分析学の特権的な研究分野だったわけだから、精神医学の側からこのような視点に立って無意識を描いた研究がどうしてもほしくなってくる。
こうして中沢氏はブランコをもちだすのである(52頁)。
そこで取りあげられるブランコの著書は『無限集合としての無意識──複論理[バイロジック]の試み』(The Unconscious as Infinite Sets──An Essay in Bi-logic,1975)である。
本書『無意識の思考──心的世界の基底と臨床の空間』(Thinking,Feeling,and Being──Clinical Reflections on the Fundamental Antinomy of Human Beings and World,1988)はそれ以後に書かれた著書で、訳者まえがきによると、ここに展開されているのは「無意識という“多次元空間・無限次元空間”の鳥瞰図」である。
買いためて読み囓っては放置したままの本が山積みになっている。
いつ読めるかわからないが、もしかするととんでもない鉱脈が『無意識の思考』のうちに眠っているかもしれないと私の直観が告げる。
年末年始にでも読めればいいと思うが、どうなるかわからない。