休日の過ごし方──脳科学の勉強・その他

朝10時頃に起きて、いつものように(昔ほんのわずかな期間モダンバレエの教室に通っていた時に教えてもらった)真向法とストレッチを組み合わせた体操を数分間やって、これもいつものようにざっと新聞の見出しを眺めながらパンとココアを流し込み、駅前のドトールで小一時間ほど本を読み、午後、待ち合わせて西宮北口にでかけ、帰りに本を二冊買って、ヒッチコック/バーグマンの『山羊座のもとに』を観て、そのあとまた本を少し読んで休日が終わった。


午前中、時間潰しに読んでいたのは『感じる脳』(ダマシオ)第3章「感情のメカニズムと意義」の142頁から161頁までで、ここのところはとても面白かった。
感情とは情動によって変化した実際の身体の知覚である。
このウィリアム・ジェイムズの洞察がダマシオ自身をはじめとする脳科学者たちの実験によって確かめられつつある。
脳内の身体知覚領域が感情の重要な基盤であるという考え方はもはや単なる仮説ではない。
ダマシオはそう述べて、感情の基本的プロセスをめぐる四つの条件を提示している(150-152頁)。
「第一に、感じる能力をもつ存在は、身体をもっているだけでなく、その身体を身体内部に表象する手段も兼ね備えた有機体でなければならない。」
要するに神経系がなければ感情はないということ。
「第二に、その神経系は身体構造や身体状態をマップ化し、ついで、そのようなマップの中のニューラル・パターンを、今度は心的パターンやイメージに変換できなければならない。」
「第三に、言葉の伝統的な意味での感情[フィーリング]が生じるには、その内容[コンテンツ]が有機体に認識される必要がある。つまり、意識が必要条件である。」
感情の機構は意識のプロセス、つまり「自己」の創出に一役買っている。
「第四に、感情の基盤を構成している脳のマップには、その同じ脳の別の部位の指令のもとに実行された身体状態のパターンが表示されるようになっている。」
「感情をもつことのできる有機体においては、脳は二重の意味で必要だ。まずもちろん、身体のマッピングを生み出すために脳はそこにあらねばならない。しかしそれ以前に、脳は、最後には感情としてマップ化されることになる特定の情動的身体状態を指示または構築するためにも、そこにあらねばならない。」
最後に出てくる脳の二重の機能のうちの後の方に関してだと思うが、ダマシオは、身体感知領域以外の脳の領域が二つのやり方でマッピングのプロセスに干渉し「偽の」身体マップをつくることがあると書いている。
二つの方法とは、フィルタリングによる現在の身体マップの変更と、ミラー・ニューロンによる模倣(感情移入)である。

 要点をまとめれば、身体知覚領域はいわば劇場を構成しており、そこでは「実際の」身体状態だけでなく、仮想身体[as-if-body]状態、フィルターにかけられた身体状態、等々、さまざまな種類の「偽の」身体状態も演じられる。仮想身体状態を生み出すための指令は、動物と人間のミラー・ニューロンに関する最近の研究が示しているように、種々の前頭前皮質からくるようだ。(161頁)

以上のことは図で考えるととても判りやすい。
実際私は本に図を書き込みながら熟読した。
いろいろ発想が広がった。
ここに図を転載することができないのが残念だ。


     ※
西宮北口にでかけたのは、昨年10月にオープンした県立芸術文化センターを一度見ておきたかったから。
ついでに何かコンサートでもと思っていたら、チケットはとうに売り切れ。
なかなか感じのいいホールだったので、今度はちゃんとチケットを入手してから来ることにしよう。
その後しばらくタウンウォッチングで時間を潰して遅い昼食をとって帰った。
西宮北口には結婚前にしばらく独りで暮らしていたことがあった。
その時住んでいた家を探してうろうろ歩いたけれど、震災で壊れたかもともと古い住宅だったのでとっくに取り壊されたかで、どこに建っていたのか結局わからずじまい。
神戸に帰って元町の「ちんき堂」に立ち寄った。
この古本屋をのぞくのは初めて。
このところ古書店めぐりの面白さにめざめはじめたところなので、一度この高名な店に顔を出しておきたかった。
ドアをあけるといきなり聞こえてきたのが野坂昭如の「バージン・ブルース」。
「あなたもバージン、わたしもバージン」のところで野坂昭如が会場に向かって、バージンの皆さんもご唱和をと語っている。
このライブ盤のLPは持っている。
プレイヤーが壊れれたのでもう聴くことができなくなったが、いまでも「書庫」のどこかで眠っているはず。
懐かしい。
棚に並んだ本もどこか懐かしい。
澁澤龍彦本が一角を占めているのも嬉しい。
まるで私の「書庫」が転居したような感じ。
記念に一冊と、岩波新書のなるべく古いのを物色してJ.B.モラル『中世の刻印──西欧的伝統の基礎』(城戸毅訳)を百円で買った。
たぶん読むことはないだろうと思うが、119頁以後にエリウゲナのことが書いてある。いつか買っておいてよかったと思う日が来るかも知れない。
(家に帰ってメールチェックのためネットに接続して、「ちんき堂にっき」を発見した。)


もう一冊、茂木健一郎著『プロセス・アイ[PROCESS A.I.]』(徳間書店)を買った。
この本のことは前々から予告されていて、刊行されたら速攻で入手して一気に読むつもりでいた。
茂木さんがフィクションに手を染めていることは前々から知っていた。
何年も前にクオリア日記(だったかな)に書いてあった。
そうでなくても、この人はいつか小説を書くだろうと思っていた。
文章家としての力量や才能には並々ならぬものを感じていた。
意識の問題や心と脳の関係をテーマにした小説はいくつか読んできた。
最近では瀬名秀明著『デカルトの密室』。
いずれも隔靴掻痒、あと一歩というところで肝心なものをつかみ損ねた感じ。
茂木さんが書くのだからと期待しているが、ちょっとこわい気もする。
プロローグ「色とりどりの砂」が「北アフリカチュニジア」で始まる。
チュニジアときけば、かの「色彩画家」パウル・クレーを想起する。
チュニジアの赤と黄色の家』。
最近読みはじめた宮下誠著『20世紀絵画──モダニズム美術史を問い直す』(光文社新書)がちょうどクレーの節を終えたところだった。
これもなにかの符合なのかもしれぬ。
早く読みたいが、その前に『象られた力』を終えなければいけない(この本を早々に読了して手放すのは惜しいけれど)。
フィクション系だけは同時並行読みができない。