『名僧列伝(一)』

紀野一義著『名僧列伝(一) 明恵道元・夢想・一休・沢庵』読了。
この本はひどい。
明恵や夢庭や一休のどこがいったい「名僧」なのか、いくら読んでもまるで理解できないのだ。
第一、著者はたとえば夢窓や一休を嫌っている。
夢窓についてはこう書いてある。

乱世にあって、みごとに自派の教団の基礎を確立していったその力量と見通しのよさには驚嘆するほかない。…しかし、ついて行きたくなるような人であるかと問われたら、わたしは「否」と答えるほかはない。…夢窓国師は卓抜した禅僧ではあったが、庶民の師ではなかったし、もちろん、友などでは絶対なかった。…だからといって夢窓国師をけなすことはできない。国師国師のようにしか生きられなかったのである。それが国師の弱さ、ひいては、人間のすべての弱さなのである。人は、その生まれついたようにしか、所詮生きられないものなのである。これも今日風にいえば、人の生き方はその人のDNAの促すままに決まってしまうのであろう。(152-153頁)

これだとまるで片田舎のお寺で、足の痺れをこらえた法事の参集者相手に得々と語る中身のないお説教のようではないか。
一休についてはこう書いてある。
一休禅師が雀の子を可愛がり、その死にあたって一山の僧侶に命じて葬式を出させたのは、雀の子の中にかつて父子の縁を切ったドラ息子の姿を見ていたのであろう。
ふだんは立派な高僧が、こと子供のことになると見るもあわれな妄執に振り回される。そういう例をたくさんみてきた。
哀れと思い、腹立たしくもあった。

しかし、それが偽らざる人間の本然の姿なのであろう。どうしようもない人間の本音なのである。わたしはこの事実に感動した。しかし、わたしはこんな一休禅師が好きではない。どこか屈折しているし、陰湿なところがある。しかし、あの剛毅果断な禅師でさえこうであったとすると、坊さまは子どもを持つべきではないなとしみじみ思う。(184頁)

思わずつっこみを入れたくなるボケのあとでしみじみ述懐されても困る。
これでは、好きでもない「名僧」の話をよく人に話してきかせられるよな、と呆れるしかないではないか。
それでも道元のことは尊敬しているらしい。
正法眼蔵』弁道巻で述べられた「さとりの深化の過程」をめぐって次のように書いている。

これをやさしくいうと、ある人がさとると、まわりにいる者がみんな浄化されて次々にさとる。これらのさとった人のはたらきに助けられて、その坐禅人はさらに仏としての修業を積むようになり、遂にはまわりの自然界まで仏のはたらきをあらわすようになる。しかも本人はそのことを知らない。
 こんな生きかたができたらどんなにすばらしいだろうか。自然までが変わってしまうような人間の生きかたを、こんなに明確に説明してくれたのは道元禅師だけである。日本の生んだ思想家の中で道元がピカ一だとわたしが思うのは、人間が生きてゆく上に一番大切なことを、この人が憎たらしいほどぴったりとくる表現でわれわれに教えてくれるからである。体の中にどすーんとくる言いかたで説明してくれるからである。道元禅師に教えられるというのではない。道元禅師を動かしている大いなるものの力に直接教えられているという感じである。こんな思想家はめったにあるものではない。(103-104頁)

これも結局は「思想家」として道元のすごさであって、「名僧」の話ではない。
全編この調子なのだ。随所に挿入された禅問答の数々も、私にはその意味も意義もさっぱり判らなかった。
いくどずっこけ、いくど絶句したことか。
だったら読むのをやめたらよかったのに。
自分でもそう思った。
この本を少し読むたび、その「口直し」もしくは「毒消し」に『梅原猛、日本仏教をゆく』(朝日新聞社)を同量ずつ服用したくらいである。
それでも最後まで読めたのは、基本的に著者に対する最後の信頼が失われなかったからだ。
この人はウソは書いていない。
DNA云々の勇み足はいくつもあるし、面白くもない私事や凡庸な私見がとつぜん挿入されて叙述が中断することも再々だが、それらはまあご愛敬ですましてもいい。
自分に判らぬこと、理解できないことは書かない。
名僧の「名僧」たる所以は、実地に接した人にしか判らぬ。
文字で伝わるのはその残り香でしかない。
そのような潔い断念が本書を救っている。
それどころか、著者の私事・私見を濾過して得られる「名僧」の残像は、こういうかたちでしか伝えられないかもしれないのである。
(副読本の場合だと、そこに梅原猛の思想が力強くたちこめてはいても、「名僧」の残像は数々のエピソードのうちに雲散霧消している。)
著者は巻末の「原本あとがき」に、「この巻に収めた明恵・夢想・道元・一休・沢庵の五人の禅者の歩かれたところ、止住されたところはすべて実地に歩いて見た。その地に行ってはじめてこれらの禅者たちの生きざまが鮮明に知られるようになった」と書いている。

紀州明恵上人ゆかりの地をくまなく歩いた時の感激と驚き、出羽三山に沢庵禅師の配所を訪ねた時に鮮烈に浮かび上ってきた沢庵書翰の数々のこと、夢窓国師の造られたという庭をひとつひとつ探して歩いた時に、骨に応えてきた感銘の数々、それらは必ずしも皆、この書の中に書きとどめてあるわけではない。それらはすべて、行間に姿なき文字として書きとどめてある。願わくはその微意を汲んで頂きたいと思うものである。(264頁)

これは真実の言葉ではないかと思う。
「行間に姿なき文字として書きとどめてある」ものは著者の個人的な感銘の数々ではなく、名僧の「名僧」たるゆえんであろう。
しかし「本人はそのことを知らない」。
『名僧列伝』は四巻まである。
続けて第二巻を繙くかと問われれば、たぶん読まない。