『クレーの絵本』

好きな画家は誰かと訊ねられたら、きっとたくさんの名前をあげることだろう。
ただ一人にしぼれと言われたら、さんざん迷ったあげく、たぶんアンリ・マティスパウル・クレーの名を告げるのではないかと思う。
どちらになるかは、その時々の感情のかたちと身体のあり様いかんによる。
『20世紀絵画』でも、第一章「抽象絵画の成立と展開」と第二章「具象絵画の豊饒と屈折」の両方に取り上げられているのはこの二人とパブロ・ピカソの三人だけだった(たぶん)。
同書に図版が掲載されていたマティスの「赤のアトリエ」や「ダンス」や「金魚のパレット」や「河辺の浴女たち」や「装飾的人物」、クレーの「ガラスのファサード」(裏面も)や「インヴェンション」や「チュニジアの赤と黄色の家」や「インスラ・ドゥルカマーラ」や「もくろみ」や「泣く女」などは、いくら眺めていても飽きることがない。
好きな画家の話に戻って、今ならマティスとクレーのどちらが好きかとくどく追及されたら、クレーと答える。
谷川俊太郎さんが『クレーの絵本』(講談社)の最後にこう書いている。

クレーは言葉よりもっと奥深くをみつめている。それらは言葉になる以前のイメージ、あるいは言葉によってではなく、イメージによって秩序を与えられた世界である。そのような世界に住むことが出来るのは肉体ではない、精神でもない、魂だ。
 クレーの絵は抽象ではない。抽象画には精神は住めても魂は住めない。言葉でなぞることは出来ないのに、クレーの絵は私たちから具体的な言葉を引き出す力をもっている。若いころから私は彼の絵にうながされて詩を書いてきた。ちょうどモーツァルトの音楽にうながされてそうしてきたように。「詩」は言葉のうちにあるよりももっと明瞭に、ある種の音楽、ある種の絵のうちにひそんでいる。そう私たちに感じさせるものはいったい何か、それは解くことの出来ない謎だ。(「魂の住む絵」)