「ヒボコ」

先週の土曜(18日)の晩、西宮にある県立芸術文化センターの大ホールでミュージカルを観た。
日本ミュージカル研究会主宰の高井良純氏が作・作曲・演出した「ヒボコ 天日槍物語−水と炎と愛の伝説−」
この作品は、以前も別の劇場で観たことがある。
木の香りがあたりいっぱい漂っている真新しい会場で、最初のうちは睡眠不足(このところ、ナポレオン級の睡眠時間しかとっていない)ゆえの眠気にしばしば襲われながら、そのうち、なにゆえにかにじみ出てくる涙のごときもの、フィナーレでは思わず嗚咽しそうになりながら見終え、気力充実して帰宅した。
体力はあいかわらず最低最悪だが、実にいいものを観た。
演劇であれ舞踏であれ音楽であれ、舞台芸術を観ていると、最初のうちは必ず冷ややかな批判的気分が蔓延している。
それほど経験を積んでいるわけではなく、見巧者どころか超がつく初心者でありながら、頭だけがでっかくなって、あら探しのようなことばかりしている。
ところが1時間ほど経ったあたりからそういう賢しらな気分がしだいに薄れはじめ、終演まぢかのクライマックスを迎えると今度は目も当てられないくらいに高揚して、最後はなかば放心してしまう。
冷静さを失って、なんでも受け入れられるし、受け入れたい気持ちになってしまう。
うまくいくと、躰と頭と心と魂が更新されて、生まれ変わった人間として劇場をあとにする。
ナチスの時代のドイツに生まれていたら、きっと熱烈なヒットラーびいきになっていたのではないかと自分を疑う。
舞台芸術に接したあとは、きまってつづけて観に行きたくなる。
毎月一度くらいは通いたくなる。
DVDやビデオで観る映画、CDで聴く音楽、録画して観る演劇やスポーツでは味わえない、躰の中から勝手にわきあがってくる情緒と情感の質と味わい(要は感動)が忘れられない。
しかし、数日経つとすっかり元にもどってしまう。
祝祭的高揚は、日々の些事にかまけているうち、ビット数のレベルを対数的に落としてしまう。
なんどもくりかえしコピーしていくうち画像の鮮度が落ちていくように、気持ちの濃度が薄まってしまう。