「小林秀雄の霊が降りてきた」

昨日の話題の続き。というか、種明かし。
文藝春秋の3月号に、茂木健一郎氏の「小林秀雄の霊が降りてきた」という文章が掲載されている。
「科学者の私が恐山のイタコに心動かされたわけ」と副題が添えられていて、なかなか面白いエッセイだった。
小笠原ミョウさんという七十を超えたイタコを通じて、小林秀雄の霊と語り合った(?)茂木氏は、その時の体験を次のように綴っている。
長いが、最後まで省略せずに抜き書きしておく。

小林秀雄がかつて鎌倉の中華料理の猥雑の中で音楽の永遠を語った、それと同じことが目の前で起こっている。小笠原さんは手を伸ばせば届くところに生身の人間として存在しながら、日常の中で忘れてしまっている何ものかの感触を伝えてくださっている。
 私の脳の中で、過ぎ去ってしまった時間の総体と、その中で懸命に生きた人間が一つになって表象されたのである。小林秀雄という個人が確かに降りてきたかどうか、そんなことはどうでも良い。かつて私たちと同じように悩み、惑い、時には飛び上がるような喜びを感じつつ生きていた数限りない人間たちが、小笠原さんを通して私に語りかけている。動かし難いものになってしまった過去が、小笠原さんの口を通して私に意を通じようとしている。
 何も、小笠原さんから発せられる言葉に限られたことではない。そもそも、言葉というものは一度発せられてしまえば、死者の世界と同じように動かし難いものではないか。一つひとつの言葉の中に、死者の世界に通じる入り口がある。そのような普遍的原理に、小笠原さんの語りに接して気づかされた。小林秀雄を口寄せしてもらおうと思い定めていなければ、そのような気づきもなかったろう。
 小笠原さんにとっては、私は数限りなく訪れてきた客の一人に過ぎなかったことはわかっている。一回性と反復性が向かい合う時、そこに演劇性が生じる。患者に癌を告げる医者。信者の涙ながらの告白を受ける神父。一度きりの体験が、繰り返しの熟練と向き合う時、そこに秘儀が生まれ、役者が誕生する。
 演技性の核を見極め切れなかったという後ろ髪を引かれるような割り切れなさ。それもまた、イタコ体験の味わいの一部だったのだろう。
 厚く御礼を申し上げて、小笠原さんのもとを辞した。小林秀雄その人には会えなかったかもしれないが、もっと大きな何者かに出会えたという実感があった。渡海の忙しい日常の中でも、あの時私を包んだ動かし難い、しかし温かい広大な世界の感触は、時々私の中によみがえる。
 科学技術を発達させた人類は、世界のことなど何でも知っているような顔をしているが、本当は時間のことさえわかってはいない。過ぎ去ってしまった「あの時」は、どうなるかわからない「この今」とどのような関係にあるのか。小林秀雄が『感想』などの仕事を通して取り組んだ掛け値なしの難問は、現代の脳科学の中に、イタコの口寄せを熱望する人々の心の中に、そして何気ない日常の言葉の中に今も未解決のまま潜んでいる。》

ベルクソンの『物質と記憶』の最後に、物質にとって過去は現在のうちにあり、精神にとって過去は演じられるものだといった趣旨のことが書いてあったはずだが、いま手元に本がないので確認できない。


【後記 06/02/25】
 やはり、記憶だけで書くといい加減になる。『物質と記憶』の末尾はこうなっている。

《ところで、すでに示したように、精神の最低段階──記憶力のない精神──ともいうべき純粋知覚は、真に、私たちの理解しているような物質の一部をなすであろう。さらにつっこんで言えば、記憶力といえども、物質がいかなる徴候ももつことなく、すでにそれなりに模倣していないような機能として介入してくるのではない。物質が過去を記憶しないとすれば、それは物質が過去をたえず反復するからであり、必然の支配下に、それぞれ先立つものと等価でそこから導出されうるような諸瞬間の系列をくりひろげるからである。このようにして、物質の過去はまぎれもなくその現在のうちにあたえられている。しかし多少とも自由に進化する存在は、刻一刻新しいものを創造する。だから、もし過去が記憶の状態でその中に沈澱しているのでないとしたら、その現在の内にその過去を読もうと努めても無益であろう。このようにして、本書ですでにいくたびか出てきた比喩をくり返すならば、同様な諸理由によって、過去は物質によって演ぜられ、精神によって思い浮かべられるのでなくてはならぬ。》(248-249頁)