最近買った本──『日本人は思想したか』

近頃は買った本の話ばかりで、読み終えた本の感想、書評もどきの文章がまるで書けない。
そもそもまともに読めないのだから、どうしようもない。
とっかえひっかえ本を手にして活字を眺めてはいるのだが、まるで頭に入ってこない。心に染みこまない。
一月近くに及んだ「激務」からようやく解放されて、また以前のように静かな、しかしそれなりに気忙しい日常に戻ったら、これまでの睡眠不足を取り戻すかのように躰と頭がだるく弛緩して、かっことした輪郭の手触りがまるで感じられない。
スポーツのあとの心地よい筋肉の虚脱感とはまたニュアンスの違う類の感覚で、乾ききった不毛の砂がさらさらとこぼれていくように、時間が私のテリトリーから離れていく。活字が薄れていく。


吉本隆明梅原猛中沢新一『日本人は思想したか』(新潮文庫)を買った。
この本は昔、単行本が出た時に買って、それなりに面白く読んで人にプレゼントした。
調べてみると、11年前の夏のことで、その時の感想は一言「吉本の発言が難解」とだけ記している。
昨年から、日本中世の歌論、連歌論の類にいたく関心をいだくようになり、年が変わる前後から日本仏教思想に惹かれるようになった。
そうした関心から、いつか再読しなければと思い始めた矢先、いきつけの古書店の店頭に、定価514円のところほぼ半額の250円で新刊同様の文庫版が並んでいたので買い求めた。
鼎談の仕切役・中沢新一が、最初の方で次のように語っている。
「すこし大げさなことを言えば、これは日本人にとって大切な意味を持つ話し合いになり得ると思います。僕たちは、もう精算すべきものと、そうでないものを、分別する時にきています。そういう曲り角で行われた、重要な話し合いにしてみたいのです。」(14頁)
全体が五つの章に別れていて、その3が「歌と物語による「思想」」、その4が「地下水脈からの日本宗教」。
「日本人にとって」どうかは判らないが、少なくとも私にとって、この話し合いはとても重要な意味を持つもののように思える。