中沢新一の思考世界を一望する



中沢新一『野生の科学』(講談社


 中沢新一の著作リストには『カイエ・ソバージュ』シリーズや『フィロソフィア・ヤポニカ』のような長編群のあいだに『ゲーテの耳』や『知天使(ケルビム)のぶどう酒』や『ミクロコスモス』1・2といった美しい装いをもつ小品集がよりそっている。
 『ミクロコスモス』はとりわけ気に入りの書物で、書棚の目に触れる場所に飾り、しばし眺め、時折り手にとって愛玩し、数頁(数頁だけ!)読んではまた元に返すといったことをここ数年繰り返している。いつまで経っても読み終えることはないし読み終えたいとも思わない。


 『野生の科学』は長編、小品集ではなく短編集、序文の言葉でいえば「思考作品」集ということになる。三部に区画された書物空間のうちに、大雑把にくくってしまうと「自然史過程」にそくした学問、現生人類の心の構造に深く根ざした人間科学の変革をめざす、中短あわせて21のエッセイと講演録とインタビューが配置されている。
 『ミクロコスモス』のようには「美しい」とは思えなかった(し、『カイエ・ソバージュ』や『狩猟と網み籠』や『アースダイバー』のようには引き込まれることはなかった)けれど、中沢新一の思考世界を一望することができて面白かった。


 異なる意味をループでつなぎ、その重ね合わせから自由に新しい意味を発生させる喩の機能。「一次過程」と「二次過程」という二つの活動層の統一体としてできあがっている人間の心。生と死、この世とあの世がループ状につながる神話の構造。
 こうした異なる階層を飛躍しながらループでつないでいく「不思議な環」を組み込んだ心的空間が「対称性の知性」である。
 第11章に記された要約をさらに縮約すると、そこでは、
  ○過去・現在・未来が同じ空間に共存する、
  ○事物の意味は全体から分離できない、
  ○知的なものと感覚的情動的なものが一体になって働く、
  ○矛盾したものが(キアスムの論理によって)交差しつながる、
  ○ちがうもの同士が(ホモロジー論理学によって)アナロジカルに結ばれる。


 本書でもっとも興味深かったのは付録の「「自然史過程」について」だった。そこで中沢新一吉本隆明の「反−反核」の主張にとまどいながら意を決して(?)反論を試みている。
 最初読んだときは説得された。再読すると疑問がふきだし収拾がつかなくなった。それは、この本が(あくまで、『ミクロコスモス』のようには)「美しくない」と感じたこと、「読み終える」のを強要されたように感じたことと関係しているかもしれない。