心に残った本
あれから二週間すぎて、とっくに風邪は治ったものの、あいかわらず低調な日々がつづいている。
興奮して読み終え、書評めいたものを書いてきっちり「縮約」しておこうと心に誓ったまま放置している本がじわじわと増えている。鬱陶しい。読みながらいろいろと思いついたことがあって、後から思い出せるようメモをとっているのがずいぶん貯まっている。メモをたよりにきちんと文章にしておかないと、そろそろ復元不可能になりつつある。忘却の淵に沈んだところでどうってことはないのだが、もしかするといったん失われると二度とひらめかないアイデアの種が宿っているかもしれない。そんな内圧が高まってきて、これも鬱陶しい。
しばらく本は買わず、これまでに買いためた(わけではないけれど、サクサクと一気に読了することができず、かといって興味を失ったわけではないのになぜか読みかけのまま山積み状態で放置している)本や、以前読んで感銘を受けた本をじっくり一冊ずつ仕上げていこう。そんな殊勝な気持ちが芽生えかけている。だのに、ふと本屋に立ち寄るたび、あれこれ理屈をつけては新刊書を買い求める。鬱陶しさが募る。
こうした気分を一掃して、晴れ晴れとした気持ちで新しい年を迎えたい。いよいよ年末に引越をすることになったので、これを機会に、大げさに言えば「書物に対する態度」を改めたい。そんな思いだけが先行して、行動がついていかない。それがまたストレスになる。
そこで、と言ってもなにが「そこで」なのかはよく分からないが、今年読んだ(読み終えた)本のうち、心に深く残ったものをリストアップしておこうと思い立った。できれば「この一冊」とか「私の三冊」とか「ベストテン」といったかたちにまとめておきたいし、一冊ごとに簡単なコメントをつけておきたいとも思うのだが、それは絶不調の身には荷が重い。
◎飛浩隆『象られた力』(ハヤカワ文庫JA:2004)
◎二ノ宮知子『のだめカンタービレ』#14〜#16(講談社:2006.1.13)
◎ベルグソン『物質と記憶』(田島節夫訳,白水社:1965)
◎入不二基義『ウィトゲンシュタイン──「私」は消去できるか』(NHK出版:2006)
◎吉本隆明『カール・マルクス』(光文社文庫:2006)
◎中沢新一『芸術人類学』(みすず書房:2006)
◎内田樹『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書:2006)
◎小島信夫『残光』(新潮社:2006.5.30)
◎三中信宏『系統樹思考の世界──すべてはツリーとともに』(講談社現代新書:2006)
◎郡司ペギオ−幸夫『生きていることの科学──生命・意識のマテリアル』(講談社現代新書:2006)
◎漆原友紀『蟲師7』(講談社:2006)
◎ルネ・デカルト『省察』(山田弘明訳,ちくま学芸文庫:2006)
◎渡仲幸利『新しいデカルト』(春秋社:2006)
◎篠原資明『ベルクソン──〈あいだ〉の哲学の視点から』(岩波新書:2006)
◎加藤幹郎『『ブレードランナー』論序説──映画学特別講義』(筑摩書房:2004)
まだ読み終えていない本のなかで、どうしてもリストに挙げておきたいものがあるのでついでに書いておく。(永井均『西田幾多郎』とか堀田善衛『定家明月記私抄』正続などもそうだし、『群像』で連載がはじまった中沢新一の「映画としての宗教」も面白いが、それらを書き始めると収拾がつかなくなる。)