ライプニッツおそるべし!

昨日の話題の続き。
『空間の謎・時間の謎』第Ⅱ章では、時空の関係説(ライプニッツ)と絶対空間・絶対時間の理論(ニュートン)との対決が、後知恵をもって白黒をつける単純な裁定ではなく、それぞれが依って立つ科学観にまで遡って腑分けされている。
議論の詳細はもうとうに忘れているけれど、時空をめぐる問題が実に奥深いものであったことと、充足理由律や予定調和の説、不可識別者同一の原理、モナドジーといったライプニッツ哲学のキモになるアイデアが深甚かつ広大な射程をもつものであったことを、あらためて思い知った。
(あいかわらず、言葉だけで内容のない文章がつづく。)
なかでも、モナドジーの情報論的解釈のくだりが刺激的だった。
すべてのものはモナドの集まりからできている。
モナドは部分を持たず、広がりも形も持たない。
物理的現象は、いくつかのモナドが「知覚」する現象にすぎない。
モナドは、それぞれの観点から他のモナドを自分のうちに表象する。
このことが「知覚」と呼ばれる。
モナドの知覚は刻々と移り変わる。
モナドの知覚を変化させる内的原理は「欲求」と呼ばれる。
著者は、この「知覚」を「情報」に置き換えてはどうかと提案する。
そして「欲求」を「情報を変える」と翻訳する。
モナド形而上学を「情報の担い手を究極的な実体と見なし、宇宙の変化を情報の流れに着目して解き明かす」試みと解釈する。
モナドの知覚(情報)には、判明なものとそうでないものの程度の差がある。
ライプニッツの用語では、より判明でより完全なものが「能動的」で、逆が「受動的」である。
人間の心(これもモナドである)による知覚は能動的で、道端の石の知覚(日に当たって熱くなるなど)は受動的である。
しかし、能動的な知覚も、意識下の多数の受動的な情報処理プロセス(これも知覚である)からなるものである。
人間の内に宿るモナド(心)による認識(知覚)は、モナドのある集合体から別の集合体への情報の流れ、ひいては宇宙全体の情報の流れのダイナミクスによって決定されている。


《空間と時間も(モナドの世界には物理的時空はない)、モナドの知覚の中ではじめて成立する概念である。このように、あるモナドと別のモナドが他方を「映す」(知覚する)とか、他方に「映される」という関係を基本に据えたのは、宇宙のすべてが互いに関係しあっていることを強調し、宇宙の変化を情報の流れから解明しようという野心的な試みのためだったことがわかるのである。また、電子や陽子など、「素粒子」と見なされた対象を、微少なひもの振動から生まれる現象だと見なす現代の「ストリング(ひも)理論」の発想は、ライプニッツが晩年にたどりついた思想の再現にほかならない。いまから三○○年も前にこのような発想をしていたとは、まさに「ライプニッツおそるべし!」。》(81頁)