宗教・経済・科学・芸術

中沢新一さんの『芸術人類学』を断続的に読んでいる。
3月に出た本だから、もうかれこれ二月あまり、ためつすがめつ眺めている。
同じみすず書房から翌月刊行された『レヴィ=ストロース神話論理』の森へ』に、『芸術人類学』にも納められた「『神話論理』前夜」が収録されている。
だから、これらの本は星座状に関連しているわけだ。
いうまでもなく、これもみすず書房から『森へ』と同日に出た『神話論理Ⅰ 生のものと火を通したもの』がその中心に鎮座している。
これら三冊の書物を、あたかも三本の鰹節を少しずつ削ってブレンドするようにして同時進行的に読み進めていると、途方もなく濃密なガスに覆われて、巨大な星雲のなかに閉じこめられたような気分になっていく。


『芸術人類学』「はじめに」の冒頭の文章を抜き書きしておく。
「芸術人類学」の基礎をなす「対称性人類学」について書かれたくだりだ。

心の働きのおおもとの部分に、論理的矛盾を飲み込みながら全体的な作動をおこなう「対称性」と呼ばれる知性の働きを据えることによって、宗教から経済、科学から芸術にいたるまでの広大な領域でおこっている心の活動を、一貫した視点から再編成しなおしてみることを、この新しいサイエンスはめざしている。しかも私たちのめざしているのは実践的なサイエンスの構築である。新しい認識が新しい生き方の創出に結びついていけるような、現実の中でも効力を発揮できる実践的なサイエンスこそが、私たちの求めるものである。

「新しい認識が新しい生き方の創出に結びついていけるような、現実の中でも効力を発揮できる実践的なサイエンス」という言葉に強く惹かれて、この文章をチェックしておいたのだが、いま読み返すと、むしろ「宗教から経済、科学から芸術にいたるまでの広大な領域でおこっている心の活動」とさりげなく書かれた部分が興味深い。
とりわけ「心の活動」のうちに「経済」を、それも「宗教」と組み合わせて書き込んでいること。
また「宗教:経済=科学:芸術」とパラレルに読めるように書いてあること。
「科学」と「サイエンス」の使い分けも含めて、このあたりは中沢・対称性人類学の根幹にかかわることだろうと思う。
「はじめに」の最後にでてくる文章も興味深いので、ついでに抜き書きしておく。

国家出現以来もたらされた意識変革がつくりだしてきた人類の心に、根本的な変化を生み出さす「複論理(バイロジック)」ないしは「対称性」を取り戻す必要があります。しかも、それを「具体的」に、社会の内部にセットできなければなりません。
 そのためには、芸術には芸術家個人の幻想を越えた巨視的なヴィジョンが必要です。経済には贈与論的思考の復活がもとめられます。あらゆる宗教は「宗教をこえた宗教」への飛躍を模索しなければなりません。そして宗教を越え出た場所で、人類が出会うことになるのは、かつて人間と動物は兄弟であったと語る、あの神話の思考のよみがえりの現象です。しかし、そういう大きな理念の実現は、私たちの小さな日常的実践だけが可能にしていくものです。今日のエコロジー思想の実践は、未来に生まれるべきそのような思考の「先触れ」であったことを、未来の子供たちは知ることになるでしょう。

ここには「科学」という語が出てこないが、それは「神話」のうちに包含されていると見ていい。
「かつて人間と動物は兄弟であったと語る、あの神話の思考のよみがえり」とか「未来に生まれるべき思考」といった言い方のうちに表現されている。