悪という力

昨日書いたこととの関連で、網野善彦著『日本中世に何が起きたか』(1997年)をとりあげる。
巻末の「あとがきにかえて 宗教と経済活動の関係」で網野氏は、かつて『無縁・公界・楽』(1978年)の「まえがき」に書いたことを述懐されている。
高校教師をしていたとき、生徒から「なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか。ほかの時代ではなく、どうしてこの時代にこのような現象がおこったのか」と問われ、一言の説明もなしえず頭を下げざるをえなかった、と。
高校生の質問を受けてから三十年。
「本書[『日本中世に何が起きたか』]はそれ以後の模索の中で、どうやら見えてきたように思われるこの問題の私なりの「解決」への展望の中でまとめたものである」(236頁)。
では、その「解決への展望」とは何か。
それは「悪」、すなわち「人のたやすく制御することのできぬ得体の知れない力」(242頁)にかかわってくる。
網野氏の文章をそのまま書き写す。

 十三世紀から十四世紀にかけての時期は、銭貨の本格的浸透に伴う人間関係のあり方の大きな変化、それ以前の神仏の権威の低下という、自然と社会の関係の転換に伴い、この「悪」をめぐって、政治的・思想的にきびしい緊張関係が生まれた。政治的には「悪党」・「海賊」を徹底的に禁圧し、商業・金融を抑圧しようとする「農本主義」的政治路線と、むしろ商人、金融業者と積極的に結びついて流通路を支配し、悪党・海賊もそのために動員することを辞さない「重商主義」的路線との間の鋭い対立がつづくが、思想的には、まさしくこの「悪」の問題と正面から向かいあった思想家たちが、鎌倉仏教の祖師となっていったということができるのではないか、と私は考えてみたいのである。
 その中には、「悪人」を積極的に肯定し、自らもその中に身を置いた親鸞、一遍、日蓮などの動きと、それをやむをえぬあり方として承認し、それなりの位置づけを与えようとした律宗禅宗などの動きとの違いはあったが、いずれも「悪」についての思索と対処を通してそれぞれの宗派を形成していったと見てよいのではなかろうか。
 もとよりこれに対して、『天狗草紙』や『野守鏡』のような烈しい批判に代表される圧迫があったことはいうまでもないが、十四世紀から十五世紀にかけて、禅宗律宗は幕府と結びついてその立場を確立し、十五、六世紀には真宗時宗法華宗もその教線を拡大し、とくに真宗日蓮宗は教団として大きな力を持つにいたったことは周知の通りである。
 そしてこれが、多くの先学の研究に学びながら到達した最初にのべた高校生の質問に対する現在の私の解答ということになる。日本列島の人類社会は、日本国が出現してからの歩みの中で、それまで経験したことのない大きな転換期にさしかかりつつあり、そこに生じた「悪」をはじめとするきわめて深刻な問題に、思想家たちは真向から否応なしに取り組まざるをえなかったのである。「すぐれた宗教家」がこのときに輩出した理由はここに求めることができよう。(243-244頁)

さて、この「解答」に高校生は納得するだろうか。
「日本列島の人類社会」に最初に訪れた「自然と社会の関係」をめぐる大きな転換期の意義を、身体感覚に根ざしたかたちで理解すること(「思い出す」こと)ができるだろうか。
日本国出現(七世紀末)以前の「原始」といわれた社会のうちに淵源をもつ商品・貨幣・資本、すなわち人の力を超えた「聖なる世界」(神仏)と結びついた資本主義。
それが14世紀前後──坂部恵の「精神史的転換期」の第二期、「個(体)の思考」の時期(日欧ともに14-15世紀)と重なる──で大きく変質する。
「現代の人類社会」を生きる高校生なら、たぶん解るはずだ。