職人技と抽象力

中世の職人歌合に、学者と芸者が並べて描かれているのを宗教学を学ぶ甥に見せて、網野善彦がこう語った。


「ほうら、学者も芸者みたいに、正確にものごとを認識したり、表現したりできないとだめなんだぞ。芸者は正確に芸ができなくっちゃあいけない。天皇だってそうだ。天皇は儀式をおこなう職人だというのが、長い間の日本人の認識だったんだよ。その職人技を手放してしまうと、いったい天皇にはなにが残るのだろう。職人技の基礎のない学者は、いずれ政治家かジャーナリストになっていくしかないだろう。それと同じように、よい和歌を詠み、宮中の儀式を正しくおこなえる職人としての技量が、天皇にも必要だったわけさ。君も学問を志すならば、まず何かの職人にならなくちゃあいけない。そうでないと、なにも生み出せない」。


宗教学を学ぶ甥というのは中沢新一のことで、この話は『芸術人類学』に収められた「友愛の歴史学のために」に出てくる(347頁)。
ちなみに、中沢新一は、職人技(たとえば、歴史学者にとっての古文書解読の技術)と並んで学者の創造力にとって必要なものは「抽象力」であると語っている。

「人民」という概念が、戦後の新しい日本の歴史学を開いていきました。しかしそれがほんとうの意味での「民衆史」となるためには、網野さんによる「非農業」という新しい構造層の発見が必要でした。それを発見するには、たんなる実証的な研究を超えた、ある種の抽象力がなければなりません。「非農業」という概念は、たんに職人についての実証的研究を積み重ねていけば、自然にあらわれてくるようなものではないのだということを、私は強調したいのです。あらゆる創造的な学問は、新しい概念の発見が生み出してくるものです。そういうことはめったにはおこりませんが、網野善彦の学問には、それがおきたのです。(『芸術人類学』345頁)

「職人技」ときけば、前田英樹の『倫理という力』にでてきた宮大工やトンカツ屋のおやじを想起する。
「抽象力」に関しては、柄谷公人のたとえば『世界共和国へ』の次の記述が連想される。
「貨幣は国家を超えて通用するような力をもつ。では、その力は何によるでしょうか。/経済人類学や経済史の知見によって、これを説明することはできません。それを考えるのにも「抽象力」が必要です。」(72頁)