若冲とデカルト

京都にでかけて『若冲と江戸絵画展』を見てきた。
『ブルータス』(8月15日号)の特集「若冲を見たか?」をためつすがめつ眺めてイマジネーションをかきたててきたのが、今日、ようやく実物に出会えた。
感無量といいたいところだが、美術作品を鑑賞したあと繰り出すことができる語彙がきわめて貧困なので、軽軽しく感想は書かない。
国立近代美術館を出て、川沿いをそぞろ歩いた。
目にする風景のひとつひとつがくっきりと、しかしいつもと違った形で実在していた。
この感覚は、美術展を見た後でいつも覚えるものだが、一時間もするとはかなく消えてしまって、いまだに言葉で定着させることができない。
初めて若冲を見たのは、岡崎の細見美術館で、数年間のことだ。
所蔵の「糸瓜群虫図」や「雪中雄鶏図」を見たかどうか記憶がはっきりしないが、なにか強烈なものが視覚にとびこんできたことは、今でも体感として残っている。
若冲がブームになっていることは知識として頭のなかにあったので、それはこしらえものの体感だったかもしれない。
『ブルータス』に、茂木健一郎さんが「糸瓜群虫図」に対峙する写真と文章が載っていた。
若冲は脳が見たがる絵=快楽を与えてくれる絵だ、純粋な形態だけで脳を覚醒させる生命感、生命の本質を描いている。
いかにも茂木さんらしい評言だと思う。
来年5月には、相国寺承天閣美術館で「若冲動植綵絵展」が開催される。これも忘れず見に行かねば。


京都へ向かう電車の中で、辻惟雄著『奇想の系譜』(ちくま学芸文庫)を読んだ。
そこで、「今のいわゆる画は、どれも画を描いたもので、物を描いたものを見たことがない」という若冲の言葉が紹介されている(「幻想の博物誌」)。


《古画の模写を後生大事とする考えを軽蔑し、〈真物〉の写形に精通するのを作画の第一義とする、いわゆる写生主義を唱えたのは、いうまでもなく丸山応挙だが、若冲の作画理念も、言葉の上では応挙のそれと変わりない。しかも、若冲は応挙より十七歳年上に当たる。とすると、若冲は、応挙に先行して写生主義を提唱した画家ということになりそうである。だが、実際の作品を見ると、若冲の頭にある〈物〉と応挙の唱える〈物〉との間には、むしろ本質的な断絶があったように思われるのだ。》(100-101頁)


辻氏は、以下、若冲の代表作「動植綵絵」に即してそのことを確認し、若冲の画は、応挙の写生画のように外形の正確な再現をめざすものではなくて、特異で強烈な内的ヴィジョンを表現するものであったと書いている。
「彼のいう〈物〉に即しての観察写生とは、結局のところ、そうした固有の内的ヴィジョンを触発させるための手段にすぎなかったのではなかろうか。」(105頁)
また、辻氏によると、「綵絵」の画面空間には、「ひそかにこちらを凝視する〈眼〉あるいは、こちらの視線を誘引する虚ろな〈のぞき穴〉といったものが巧妙に隠されている」(110頁)。
鶏の眼、バラの花の絨毯模様のなかに組み込まれた無数の白い花、シュロの葉柄のつけ根に開けられた奇妙な小穴、雪のまだらがつくり出す模様のなかにくり抜かれた穴、葉の病斑の丸や虫食いの穴。
「こうした得体の知れない〈のぞき穴〉の謎解きは、深層心理学の助けを借りても容易ではあるまい」。
実に興味をひかれる指摘で、『若冲と江戸絵画展』に展示された若冲の画のうちにも、たしかに〈のぞき穴〉とおぼしきものを見出すことができたと思う。


帰りの電車で、渡仲幸利著『新しいデカルト』(春秋社)を読んでいて、次の文章をみつけた。


《小説を書き出した友人がいて、ぼくにこういった。絵をかきたいんだ、と。絵の絵をかくのでなく、絵をかきたい、と。ぼくは、なぜ彼が小説を書こうとしているのか、よくわかった気がしたのだった。》(176頁)


『奇想の系譜』に引用された若冲の言葉と、渡仲氏の友人のこの言葉が、みごとに響き合っていて、とても興奮した。
前後の文脈を紹介せず、ひとり興奮してみせても、たぶん何も伝わらないと思うが、渡仲氏がここで言っているのは、物を物として知覚するのは「思想の力」だということである。
物をつくり上げること、つまり画の画や絵の絵を描くのではなく、絵=物そのものを描くためには目覚めなければならない。
精神、すなわち物とじかに触れている思考、あるいは理性をはたらかせなければならない。
ことばもまた、そのような精神の自発性のうちに根ざしている。
何を言っているのかさっぱりわからない。それならそれでいい。
もう一つ、つけ加えておく。
若冲の〈のぞき穴〉の謎解きも、深層心理学よりはデカルトの助けを借りるべきだろう。