システムと情緒──『日本語の奇跡』

 山口謠司著『日本語の奇跡──〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明』(新潮新書)を読んだ。
 日本という国の歴史そのものでもある日本語の変遷の過程を、コンパクトな新書に収めきるのはどだい無理な話だ。「書き足りない」と著者はあとがきに書いているが、それは当然のことだと思う。
 情報の圧縮には必ず残余が伴うのであって、読後、それが余韻というか残り香のように漂うようであれば、成功といってよい。しかし、通読後の第一印象は「書きすぎている」もしくは「書き散らかされている」というものだった。
 初学者にとって充分すぎる情報が、必ずしも順序だてて整然と構成されているとは思えない叙述のなかに、飛び飛びにちりばめられている。だから、にわか仕込みの断片的な知識が頭の中でとぐろを巻いて、鮮明な読後感に集約していかない。
 それに、本書の表題にいう「奇跡」の実質がいまひとつ掴めない。
 日本語はトルコ語モンゴル語朝鮮語の同類で、基本となる語に助詞や助動詞が付属して文法的な関係を示す膠着語に属する。これに対して、古来、文明を創り上げてきた国々の言葉は、ギリシャ語、ラテン語といったヨーロッパの言語やアラビア語、インドのサンスクリット語など、語尾変化によって文法的な関係を示す屈折語と、中国語のように語の配列の順序で文法的な関係を示す孤立語とに分類される。
 膠着語の特徴は、外国語(屈折語孤立語)からの借用語の比率が高いことである。結果として、それは文明と文明とをつなぐ架け橋の役割を果たしてきた。オスマン・トルコやモンゴルが東西の文化を融合させながら大きくなっていったように。ユーラシア大陸の東端に位置する日本語は、西から押し寄せるあらゆる言語を吸収し、それを濾過しながら貯えていった(東大寺正倉院はまさにその象徴)。そして、漢字という「借り物」を長い時間をかけながら昇華させ、自国の文化を繊細に表現する日本語を、つまりひらがなやカタカナを生み出していった。


《〈いろは〉と〈アイウエオ〉の両輪によって情緒と論理の言語的バランスを取ることができるこのような仕組みの言語は、日本語以外にはないだろう。あらゆる文化を吸収して新たな世界を創成するという点で、それは曼荼羅のようなものだと言えるかもしれない。
 我々はそうした素晴らしい日本語の世界に生きているのである。》(181頁)


 本書の末尾に著者はそう書いているのだが、これがいまひとつ琴線に触れない。なんだか、国学者風の自画自賛としか読めないのだ。

 ずいぶんひどい書き方だけれど、以上が本書を一読しての率直な感想。でも、読み終えて、久しぶりに「書評」めいたものを書いてみようと思い立ち、最初からぱらぱらと眺め返し、キーワードの類をノートに拾い、それらの関係を図解しているうちに、すっかり印象が変わっていった。(やっぱり、本は最低でも二度、できれば三度くらいは読まないといけない。)
 ノートに書き込んだ覚書のうち、とりわけ重要だと思うものをピックアップしてみる。


・言葉とは存在(=無数にある世界の実体)を記号に置き換えたものである。
・国家とは言葉である。あるいは「祖国とは国語である」(シオラン)。
・日本語は、「システム」としての五十音図(カタカナ)と「情緒」としてのいろは歌(ひらがな)によって培われてきた。
・システムと情緒は、空海における「情報」と「実」に対応している。(著者はそう書いていないが、おそらく本居宣長における「からごころ」と「もののあはれを知るこころ」がこれに対応している。)
・情緒を支える〈いろは〉は、「音が世界を支配する」(マクルーハン)原始性につながっている。能や狂言、和歌の世界が、詞章を音のイミテーションによって保持する「師伝」によって支えられているように。


 なかでも「システムと情緒」は重要。この対概念をベースにして本書を読み直してみると、最初から最後まで一本の筋が通っていたことが判明するのではないか。それどころか、いろいろな分野に応用が利く優れた概念だったのではないか。そう思えてきた。


     ※
 『堤中納言物語』に、ある貴人からの贈り物への返礼として、カタカナで和歌を書き送った(虫めづる)姫君の話が出てくる。
 本居宣長の門人伴信友は、この一篇に寄せて、「さて其片仮名を習ふには五十音をぞ書いたりけむ。いろは歌を片仮名に書べきにあらず」と記した(『仮名本末[かなのもとすえ]』)。和歌をカタカナで書いてはいけない。草仮名すなわちひらがなで書かなければならないというのだ。
 ここに、この本で書きたかったことの淵源がある。著者は、あとがきでそう述べている。
 伴信友がカタカナを五十音図に、ひらがなをいろは歌に対応させたことを敷衍して、著者は本書で、日本語を培ってきた二つの世界を腑分けしてみせた。すなわち、〈アイウエオ〉という「システム」(日本語の音韻体系)を支える世界と、〈いろは〉という「情緒」(言葉に書きあらわすことが出来ない余韻)を支える世界。
 それは同時に、日本という国家を支えてきた二つの要素に対応している。外来の普遍的な思想(たとえば儒教、仏教)や統治制度(たとえば律令制)と、「国語」としての日本語でしか伝えられない「実体」とでもいうべきもの(たとえば民族性、もののあはれ)。
 国家を支える「システム」としての言葉の世界は、『論語』(政治と人倫の規範を説いたもの)と『千字文』(あらゆる存在=実体を千の漢字で書きあらわしたもの)によって、わが国に漢字が伝来したという伝説のうちに示されている。国家を支える「情緒」としての言葉の世界は、漢字伝来以後の、日本人の「独創」を通じてかたちづくられていった。
 ところで、著者は「システム」と「情緒」を、空海の業績に託して、「情報」と「実」とも言いかえている。


空海が[唐から]持ち帰ってきたものは、情報より「実」とでもいうべき意識ではなかったか。言ってみれば、借り物ではない世界を実現する力である。
 むろん、それまでの日本に「実」というものがなかったわけではない。しかし、「世界」とは中国であり、「普遍の伝達」とは中国の模倣とイコールであった。「実」という意識はまだ薄かったであろう。(略)
 「実」という意識は、あるいは、芸術家が模倣を繰り返す修行時代を抜けだし独創の境地に立った地点と似ているとでも言えようか。模倣は本来、「実」を必要とはしない。模倣によってあらゆる技術を身につけようとするときの条件は、いかにして「実」を捨てられるかである。しかし、捨てようと思えば思うほど、目の前の壁となって「実」は大きく姿をあらわしてくる。そして、いかにして「実」を捨てられるかともがき続ける修行のなかで、最後の最後に幻のように残った「実」こそが、まさしく独創の足場となるのではなかろうか。
 折りしも日本では、本当の意味での独創が始まろうとしていた。日本語において、それは〈カタカナ〉と〈ひらがな〉へとつながってゆくのである。》(76-77頁)


 こうして著者は、漢字伝来から(鳩摩羅什による仏典漢訳の方法に倣った)万葉仮名の創造を経て、漢字の簡略化によるカタカナの、また、そのデフォルメ(草書体)を利用したひらがなの発明へ、そして、十世紀前半と目されるいろは歌の誕生(作者不詳)へと説き及んでいく。
 また、空海によるサンスクリット語の伝来に端を発し、十一世紀後半を生きた天台僧明覚による(子音と母音を組み合わせた)日本語の音韻体系の解明から、日本無双の才人・一条兼良による(動詞、形容詞などの活用に着目した)「行」の考え方を経て、宣長による「国語学史上の一大発見」(「オ」と「ヲ」、「イ」と「ヰ」、「エ」と「ヱ」の区別)へと至る五十音図誕生の物語を語っていく。


《「言葉」は記号である。言葉を研究すれば、日本という古代から連なる精神をも見通すことができるのではないかと、宣長は考えたに違いない。
 言葉しか遠い昔に書かれたものの実体を指し示すものはない。(略)
 しかし、言葉を追えば追うほど、見えないものが存在していることにも気づく。「あはれ」とは何であろうか。そしてそれを感じる「こころ」はどこにあるのかと、宣長は追及する。
 すべてのものに心がある……。動物や虫はもちろん、草木や石にだって心がある。(略)
 中国からの影響を受けて作られた国であったとしても、その心は残っている。その心はどのように伝えらてきたのだろうか。
 『古事記伝』のなかで宣長は「鳥獣草木、海山などの類、何にまれ尋常ならずすぐれたる徳のありて可畏[かしこ]き物を迦微[かみ]とは言うなり」という。》(163頁)


 こうした千年をはるかに超える日本語探求の歴史の重みを踏まえて、「情緒よりシステムの構築を必要とした時代」であった明治になって、大槻文彦による五十音配列の『言海』が完成したわけである。それは、かつて空海が唐から持ち帰ってきた「実」という意識につながっている。


真言宗の世界観からすれば、「あ」[サンスクリット語の「a(阿)」は宇宙のすべてを生じる「種」を象徴する]から始まり「ん」[同様に「n(吽)」は「宇宙の終息」を意味する]で終わるという日本語の辞書は、宇宙の元始から始まることによって無限の存在を生じ、そしていつか収束して再び芽となって新たな世界を創成する曼荼羅という世界観に基づいたものだと言える。
 言葉とは存在を記号に置き換えたものである。その記号としての言葉に言霊のような命があると考えるならば、真言宗における曼荼羅の世界がそのまま「あいうえお順」に並べられた辞書には表されていると言うこともできるだろう。》(178頁)


 最後に引用した二つの文章、宣長空海に関するものが、本書の叙述の流れの中で浮き上がっている。これらをどう理解するか。システムと情緒という対概念とどういう関係を切り結ぶのか。日本語の歴史のうちにどう位置づけるか。「日本語の奇跡」とは何かという問題とともに、依然、読後の作業として残ったままだ。


     ※
 ここ三月ほど、まともに本を完読できず、まとまった文章を打ち込むことがなかったので、たったこれだけのものにつごう5時間もかけてしまった。5時間近く苦しんで、(尾篭な話だが、便秘ならぬ)言秘からようやく解放されたような気がする。