語りえぬこととしての存在──永井均の講演(1)

 大阪中之島の朝日カルチャーセンターで、永井均さんの講座を聴いた。
 8月27日の土曜日、午後3時半から5時過ぎまで。ちょうど大阪が激しい雨(気象庁の発表では、午後4時過ぎまでの1時間で史上最多の77.5ミリ)に襲われていたときのこと。
 雨音、落雷の音、救急車の音がひっきりなしに聴こえるなか、百人足らず(だったと思う)の聴衆を前に、永井哲学が「上演」された。
 演題は「語りえぬこととしての存在」。以下は、パンフレットに記載されていた「講座内容」から。


ウィトゲンシュタインは「語りえぬことについては沈黙しなければならない」と言った。しかし、その「語りえぬこと」とは何であろうか?私は、それは「存在」である、と考えてみたいと思う。この考えは、ウィトゲンシュタイン解釈としても成り立ちうるが、逆にウィトゲンシュタイン批判としても成り立ちうる。存在することは言葉で語ることができない、このことを、私の存在、今の存在、世界の存在について(時間があれば神の存在についても)考えてみたい。》