知の妖怪と知の怪物



白川静梅原猛対談『呪の思想 神と人との間』(平凡社


 奇人・梅原猛、大奇人・白川静。二人の知の巨人(知の妖怪と知の怪物)が今世紀の初頭、三度にわたって対峙した。歴史に刻まれるべきその対談のテーマは、漢字(=饗)と孔子(=狂)と詩経(=興)。
 2001年5月(「卜文・金文 漢字の呪術」)と8月(「孔子 狂狷の人の行方」)の二つの対談は、別冊太陽『白川静の世界 漢字のものがたり』(2001.12.20発行)に掲載されたもの。再読して、高橋和巳『わが解体』のS教授が白川静であったこと、梅原猛が選ぶ「白川先生の三作」が『孔子伝』と字統・字訓・字通の字書三部作と『詩経』研究であったことを再発見した。
 別冊太陽刊行後の2002年2月の対談(「詩経 興の精神」)で、白川文字学の出発点(万葉との比較研究)となった「詩経」の二つの原理が明かされる。
 すなわち、風・雅・頌の様式的規定と賦・比・興の表現、発想、修辞上の区分。賦は数え上げる、比はなぞらえる(比喩)、そして興は生命を呼び起こし、土地の霊を呼び覚ます。貫之の「かぞへ歌」「たとへ歌」「たとへ歌」の訳も「まんざら間違いではない」(梅原)。
 記念に白川静の発言を二つ。


「大体僕の考えではね、初期万葉は殆ど呪歌であったと思う。単なる叙景とかね、或いは想いを述べるというようなものではなしにね、相手に対してもっと内的に働きかけるという、そういう意味合いを持った歌がいわゆる初期万葉であると。」(214頁)
「そもそも『万葉集』自体が社会生活の中で広く伝承されるようなものでなく、殊に最終の四巻は大伴家持の日記みたいなもので、大伴家に残されておって、大伴家が何か疑獄事件で被害者になって、家宅捜索された時に見つかった。」(283頁)