恋歌と恋文、音の韻と字の韻(その2)



石川九楊『日本の文字──「無声の思考」の封印を解く』(ちくま新書


 第五章「文字と文体」に、「ひらがなとともに生れた古今和歌」のレトリック、掛詞、縁語、見立、歌枕、等々は、「音による韻律ではなく、文字=書字による韻律、書字詩」、すなわち「文字に触発された意味の上での韻、字韻」(215頁)の「当然の帰結である」(214頁)と書かれている。
(ここでいう「ひらがな」は、一音多字、清音表記を特徴とする「女手」のこと。著書によると「女手」の特徴にはもう一つあって、すぐあとで引く「元永本古今和歌集」の小野小町の歌にある「花・色・我・身」のように、その書きぶりがひらがなの表記となじみあったものについては、漢字をも含めて「女手」という。)


 たとえば、「梅の香を袖にうつしてとめたらば春は過ぐとも形見ならまし」の古今和歌を、寸松庵色紙は「むめのかをそてに/うつしてとめたら/はるはすくと/もかたみならま/し」のかたちに五行にちらして書く。従来の解釈では、第二行末と第三行冒頭のあいだの「は」は一次脱字だとされてきたが、石川氏はそこに、「梅の香を袖にうつしてとめたら‘は’」と「‘は’るはすくとも」というふうに、二重に読まれるべき「掛字[かけじ]」という「字韻」が駆使されているとみる(208頁)。
 そして、この掛字は、「さ」の最終筆と「ら」の第一筆を二重に書く、あるいは「ち」の最終回転部分と「と」の書き始めの第一筆とが二重化するといった「掛筆[かけひつ]」の表現技法に根ざしているとする。「ひらがなの歌である和歌の最も代表的なレトリック」とされてきた枕詞は、掛字に支えられ、その掛字は、掛筆に支えられている(209-210頁)。
 あるいは、古今集113番の「花の色はうつりにけりないたつらに我身よにふるなかめせしまに」で、「経る」と「振る」、「長雨」と「眺め」の二重の意味にくわえ、「わかみ」は「若身」=「若い自分自身」とも読めるし、「いたつらに」の「つら」は「面」をもあらわすから、「自分の若い面」が変わってほしくない、という意味にも解釈できると著者は記す。
 以下、縁語、見立、歌枕、と和歌のレトリックをめぐる話題がつづく。ついで、ひらがな歌(女手歌)とは異なる万葉歌(漢字歌)の表現世界の話題、「無声文字の文化、つまり構成要素が声をもたず意味と形を中心とする文化において展開される、詩の性格」(230頁)をめぐる話題がつづく。


 本書にはそのほかにも記憶にとどめおきたい話題がふんだんにもりこまれている。第四章「点画の書法──東アジアの「アルファベット」」にでてくる「基本点画」の画像つき解説は見ているだけで楽しい。西洋における楽譜のアナリーゼに相当するものといえようか。いちいちとりあげていてはきりがないのであと一つだけ、四季と性愛の表現に長けた和歌の誕生と洗練をめぐる文章を抜き書きしておく。


《漢字で書かれている万葉集の歌は和歌とは呼ばない。宛字という意味で「仮字[かな]」とはよぶものの、万葉仮名は漢字にほかならないから女手=ひらがなのような「かな」歌ではなく、漢字歌である。これに対し、「古今和歌集」の歌は女手で書かれた、真正の和歌である。女手は語を単位とする分かち書き化へと踏み出した文字であるから、なめらかに書かれる。なめらかに書くこと──書字自体の優位化、優先は、複雑で微少な差異をならし、平準化を進める。母音の五母音への簡素化と、現在で言う清音、濁音の一体化つまり清音表記も進んでいった。
 また、清らか、なめらかに書くところから、掛筆が生れ、掛筆は掛字を、そしてそれは掛詞を生むことにもなった。声による韻律よりも、書字(掛筆)に発する掛詞が清音表記によってさらに増幅され、表現の可能性が広がり、和歌の表現が洗練されていった。意味の韻、文字の韻、書くことから生れる韻律によって成り立つ和歌が、女手の誕生とともに生れたのである。ここに東アジアの漢字の「詩」とは異なる「和歌」が誕生した。
 これらの掛詞や縁語を和歌のレトリックの技巧と考え、従来の国文学者のなかには、それをおもしろがる人たちと技巧的でありすぎると批判する学者が存在した。和歌の技巧性に対する見解は相違しているが、両者は共通に、西洋の音韻律を存在基盤とする詩をモデルとしてこれらを和歌の技巧と捉えている。だが、これらは、和歌のレトリックではなく、意味の韻律、字の韻律を基盤に成り立っている和歌という詩の構造から生じた表現なのではないだろうか。》(223-224頁)