恋歌と恋文、音の韻と字の韻・読後談(その1)


石川九楊『日本の文字──「無声の思考」の封印を解く』(ちくま新書
☆『芸術新潮』2006年2月号[特集|古今和歌集1100年 ひらがなの謎を解く]
小松英雄『みそひと文字の抒情詩──古今和歌集の和歌表現を解きほぐす』(笠間書院


 『日本の文字』の読後の余韻を愉しみかつ確かめるために、かつて愛読した『芸術新潮』2006年2月号の古今和歌集1100年特集「ひらがなの謎を解く」(この特集の内容は後にとんぼの本から『ひらがなの美学』として刊行された)の図版を眺めてみた。
 伝紀貫之筆「寸松庵色紙」や「高野切」、伝藤原行成筆「升色紙」、「秋萩帖」の美しいこと。


《日本を代表する歌集は何かと尋ねられたなら、本居宣長正岡子規であれば『万葉集』と答えるだろうが、ほんとうのところは『古今和歌集』に尽きる。書でいえば、さきほど言及した「寸松庵色紙」。これら平安時代中期につくられた作品が日本の美学を象徴しており、この頃が世界で日本が最も輝きを放っていた時代である。》(『日本の文字』61-62頁)


 日本を代表する歌集は何かと尋ねられて本居宣長万葉集と答えるとは思えない(新古今和歌集だろう)が、その点をのぞいて、日本の美学に関する石川説は妥当なのではないかと思う。


     ※
 芸術新潮を読んでいたのとちょうど同じ頃、近所の図書館から再々小松英雄著『みそひと文字の抒情詩』を借りてきては、ためつすがめつ眺め拾い読みをして古今和歌の世界に思いをはせていた。
 昨年、新装版が書店に並んでいるのを目にして以来、いつか常備本として買い求めたうえで、まだ読まずに手元においてある『古典和歌解読──和歌表現はどのように深化したか』や『日本語の音韻』(日本語の世界7)とあわせて通読せねばと思っていた。


 とここまで書いてきて、ふと『日本の文字』とのつながりが深い『日本語の音韻』を手にとって見てみると、付録の月報に丸谷才一大野晋の対談「和歌は日本語で作る」が掲載されていた。
 もしやと思い『光る源氏の物語』上下とともにこれも読まずにおいてあった『日本語で一番大事なもの』をひっぱりだしてみると、やっぱりこれは「日本語の世界」の月報の対談を集めたものだった。
 いくつかの本が芋づる式につながっている。