「ホリゾンタル」な図式と「ヴァーティカル」な視点

 このところずっと、『生命と過剰』とその第二部にあたる『ホモ・モルタリス』が収められた丸山圭三郎著作集第4巻を読んでいる。
 読み始めた動機は、丸山圭三郎井筒俊彦の思考の同型性を確認する、といったことだったが、そういった個別の関心事とはかかわりなく、この本は端的におもしろい。
 このおもしろさの理由は、加賀野井秀一さんが解題で書いているように、哲学の問題から精神分析の最先端まで「急速に…咀嚼してゆく」過程を、あたかも読書ノートや思索日記をのぞき見することによって、丸山圭三郎がその時感じていた興奮や刺激の熱量ごと、リアルに追体験できることからくるのだろう。
 ここには、ひとつの思考や思想が立ち上がってくる現場が保存されている。


 ひとつ、印象に残ったことを書いておく。
 『生命と過剰』の最終章に、「コスモス対アンティ・コスモスは、決してホリゾンタルな内と外なる二項対立図式を構成するのではない」(194頁)という文章がでてくる。
 この「ホリゾンタル」な図式という表現は、それ以前にも使われていた。
 いわく、チョムスキーの表層構造/深層構造は「ホリゾンタルな言語/精神…の図式」である。チョムスキーの「精神」とはデカルト的コギト以外の何もでもなく、「言語」は現実の諸言語を抽象化したもの(ソシュールのいう「ラング」)にすぎず、ソシュールが「言語=意識の深層」に見出した「ランガージュ」とはほど遠い。これに対して東洋の哲学者は、「意識の深層におけるコトバの働きをヴァーティカルな視点から捉えていた」云々。(128頁)
 「ホリゾンタル」な二項対立図式(内と外)と、深層領域へと向かう「ヴァーティカル」な力動的視点(根源的一者と現象的多)。井筒俊彦丸山圭三郎との同型性のひとつがここにある。