永井均の「鳴き声」─永井均が語ったこと(その4)

 短歌(和歌)と永井均の哲学をめぐって。


 その1.
 『哲学の賑やかな呟き』に「吉本隆明について 2011.4.27」という文章が収録されている。
 永井均さんはそこで、『言語にとって美とはなにか』や『最後の親鸞』や『源実朝』の読書歴を披露し、「私は文芸理論家(とりわけ詩学者あるいは歌論家)としての吉本氏を最も高く評価している」(248頁)と書いている。
 塚本邦雄の短歌「平和祭去年[こぞ]」もこの刻牛乳の腐敗舌もてたしかめしこと」をめぐる『詩の力』の議論に触れ、吉本隆明が自分にも理解できない吉増剛造の詩の価値をどこまでも擁護したことに言及している。


《「大震災の前で文学にどんな意味があるのか?」というような種類の問いに、「大震災の前で意味を持つような文学などにどんな意味があるのか?」と反問できる根拠を、たとえて言えば彼は求めたといえる。一文(one sentense)の内部に視点の多重性とその複雑な移動を認める三浦つとむの言語理論は、文学的表現に自立的でしかも多様な価値を認めようとする彼の志向にとっておおいに役立ったに違いない。その美学には、鳥の鳴き声の複雑さの進展にその価値を認めて、そこにこそ言語の起源を求める岡ノ谷一夫の言語理論と通底するものが認められる。つまり人間の「鳴き声」(それを吉本は「自己表出」と呼ぶ)にも、それが何を指しているか(こちらを彼は「指示表出」と呼ぶ)とは独立の、それ自体の自立的な価値があり、その作り出す価値の可能性はなお無限なのである。》(『哲学の賑やかな呟き』251-252頁)


(ここに述べられたことを私はほとんど「吉本=永井歌論」のエッセンスとして読んだ。
 とくに岡ノ谷一夫の言語起源論は、いつかこれを王朝和歌論のために使いたいと思っていたので、先を越されたという心地よい失墜感を覚えた。)


 そして最後に、「自分に固有の課題をどこまでも追及することに価値を認め、価値ありとされている仕事に貢献すること以上の価値が存在することを主張した」のが吉本隆明で、「その点では私自身もまた「吉本チルドレン」の一人なのである」と書いている(252-253頁)。


《実際、当時全世界を敵にまわしてただ一人でしかも人の知らない闘いを闘っているかのように見えた吉本氏からの理念的な支援を感じ取っていなければ、どんな伝統によっても支えられていない、何の当てもない、ただの個人的探究などをどこまでも執拗に徹底的に追及するなんて、やってみようと思うことさえ不可能だったろう。どこかに繋がる路があるかどうかなんて、一〇〇年経たなければわからないだろうし、一〇〇年経てばそれがわかるような観点そのものが消滅しているであろう。》(『哲学の賑やかな呟き』253頁)


 ここにも「永井均のアリア」(=「鳴き声」)が響いている。


吉本隆明が「当時全世界を敵にまわしてただ一人で」闘っていたというその「当時」とは、そして永井均が「ただの個人的探究」をどこまでも執拗に徹底的に追及してみようと思った「当時」とはいつのことなのだろう。
 ちなみに勁草書房版『言語にとって美とはなにか』が1965年の刊行。『初期歌謡論』の刊行が1977年。)