『定家明月記私抄』

デカルト談義はちょっと休憩。
先日、夢のなかで藤原定家の『明月記』が出てきた。
『明月記』が出てきたとはおかしな言い方だが、この高名な、しかしこれまで見向きもしなかった書物をいちど読んでみたいとか読まねばならないといった思い、というのではなくて、『明月記』にふれてみることで何かしらこれまでにない展望がひらけるのではないかという予感めいた思いが夢のなかに浮かび上がった。
それがだれの思いだったか、あるいは誰かからのお告げのようなものだったかが朦朧としていて、はたしてそれは夢だったかどうかさえも怪しい。
ましてや、難解で知られる『明月記』をいきなり繙いてもとても歯が立たない、たしか堀田善衛に『明月記』を題材にした作品があってちくま学芸文庫に入っているはずだからそれを読めばいい、などという思いがこれに続いたのだから、それはやはり夢のなかの出来事ではなくて、なにか考え事をしていた時に白日夢のごとく胸中にふと去来した思いだったのだろう。
そういうわけで、さっそく書店めぐりを敢行、『定家明月記私抄』正続二篇を入手した。
松岡正剛千夜千冊の第十七夜にとりあげられていて、その冒頭に「こんなに先を読みすすむのが惜しく、できるかぎり淡々とゆっくりと味わいをたのしみたいと思えた本にめぐり会ったのは久々のことだった。「惜読」などという言葉はないだろうが、そういう気分の本である。どうしたらゆっくり読めるだろうかと懸念したくらいに、丹念で高潔なのだ。」と記してある。
まだほんの数頁を読んだばかりだが、たぶんこれとよく似た感慨をいだくことになるだろうと思う。
同じちくま学芸文庫の『完本 風狂始末──芭蕉連句評釈』(安東次男)や岩波文庫の『郷愁の詩人 与謝蕪村』(萩原朔太郎)、小学館から出ている『日本古典文学全集』の「歌論集」や「連歌論集 能楽論集 俳論集」等々の「惜読」本(後半の二冊は眺めてすごす積ん読本か)の仲間が増えそうで、ということは『定家明月記私抄』もまたいつか息切れしてしまうかもしれない。
でも、ざっと眺めただけでも、正篇序文の「雪さえて峯の初雪ふりぬれば有明のほかに月ぞ残れる」をめぐる「二つの傾斜」の告白(「それは高度きわまりない一つの文化である」という驚嘆と「だからどうだと言うのであろう」という虚無感)や、続篇序文の日欧中世文化並行説の提示は、なにか途方もなく深甚な世界を告げる序曲のようで、読んでいて興奮させられる。
この興奮がしだいに醒め、氷のように冷え冷えとした「艶」の域に達するか、それとも夢幻のごとく溶けて流れてしまうか。


     ※
「雪さえて…」のことは千夜千冊でもとりあげられている。
堀田善衛が言いたかったことは、たんに一作品一文化を例外的に定家がなしえているなどということではなく、定家は詠んだ歌をもって文化を残すにもかかわらず、その定家はその歌から平気に遠のいていること、そのことに定家の前に残されたわれわれは驚嘆しているということなのだ。」
あらためて松岡正剛さんのすごさに感じ入った。
この後に続く定家論が実に素晴らしかったので、そのさわりだけペースしておく。
松岡正剛の定家論は素晴らしい、そんな評言をくりだすだけの研鑽をつんでいるわけではないが。)


《第一に、リアルな出来事やリアルな感情の数々をあまり出さないで、できればたったひとつの景色だけを歌にのこして、その歌の場から去っていこうと考えた。(略)
 第二の指摘になるが、定家はいわばリアルなものを負の領域にもちこんで、その場をヴァーチャルな雰囲気に変え、それでいて一点のリアルを残しつつ、その場のリアル=ヴァーチャルな「関係」だけを残響させるという方法をつくろうとしたのではないかということだ。(略)
 そこで第三に、定家は言葉をつかうにあたって、実在を指し示す言葉や不在を指し示す言葉では満足できずに、言葉そのものを実在とも不在ともするような詠み方に進んでいった。
 これをさしずめ「言葉から出て言葉へ出る」と言うといいのかもしれない。念のため、言葉に出るのではなく、言葉へ出た。》


第十七夜から第千八十九夜にリンクが張ってあった。
冒頭「颯爽たる一冊だった。」と記されているのは尼ヶ崎彬の『花鳥の使』(勁草書房)で、いまは『花鳥の使 歌の道の詩学1』と『縁の美学 歌の道の詩学2』の二冊本になっている。これは未読。
「心敬の『ささめごと』はいずれ「千夜千冊」に入れようとおもいつつ、ついついその機会を逸してきた絶品の書であって、それゆえぼくとしてはつい口を極めたくなるのだが、ここでは静かに著者とともに心敬を味わうにとどめたい。」
そんな文章がでてくる。
そういえば、古本屋をめぐって『日本古典文学全集』の二冊を入手したのは、『ささめごと』が読みたかったからだ。
定家と心敬。この二人のことが「歌の道の詩学1」で主題的にとりあげられているらしい。
さっそく次の休み、書店めぐりを敢行することになりそう。