桃尻語のルーツ

 『小林秀雄の恵み』の第三章から、もう一つ抜き書きしておきたい。


《長大なる『本居宣長』には目次がない。その必要がないのは、全篇が五十節だか五十章に分かれているこの本のどこにも「章題」となるようなものがないからである。ただ(一)(二)(三)……のナンバリングだけで、「この本のどこになにが書かれているのか」と、読者が考えるための手立てがまったくない。人によっては、小林秀雄の書くものの中に「魂を揺さぶられるような決め台詞の一行」を発見することもあるらしいが、私にはそういう能力がないので、なにを言っているのかが簡単には分からない小林秀雄の文章を見て、「ということはどういうことなの?」と、首を捻ってばかりいる。そういう私にとって、小林秀雄の言う《私の書くものは随筆で、文字通り筆に随うまでの事で、》は、正に真実である。「そうなんだろうな。でも、少しは筆を随えさせてもくれないかな」とは思う。私にとって、『本居宣長』は、そのような《随筆》の極致でもある。ともかく、切れ目なく続く――続くことを小林秀雄が完全に許しているので、ただ(一)(二)(三)……とする以外に、章題のつけようがない。どこかになにかは書かれているのだが、それが「どこ」なのか分からない――つまり、語りようがない。》(123-124頁)


 ここで言われていることは、小林秀雄の文章は、文字通り筆に従う「随筆」の極致で、まるで話された言葉のように、つまり「口語」のように、切れ目なく続く文章であるということだ。この「切れ目なく続く」は、以前(3月4日)引いた小松英雄さんの「連接構文」を想起させる。
「和歌も和文も、事柄の一義的伝達を目的とする文体ではなかったから、ことばの自然なリズムを基本にして、先行する部分と付かず離れずの関係で、思いつくままに、句節がつぎつぎと継ぎ足される連接構文で叙述され、叙述し終わったところが終わりになる。それは、とりもなおさず、口語表現による伝達に共通する汎時的特徴にほかならない。付け加えておくなら、『源氏物語』が連接構文で書かれているのは、思いついたことをつぎつぎと書き足してできあがったからではなく、そういう構文として推敲された結果である。」
 「和歌も和文も」仮名文字を使って書かれた。「それは、とりもなおさず、口語表現による伝達に共通する汎時的特徴にほかならない。」だとすると、仮名文字で書かれた和歌は、実は口語表現だったということになる。橋本治さんが言うところの「生の声」は、口語表現だったということになる。話し言葉、つまりおしゃべりだったということになる。
 本居宣長が「生の声」のルーツを探った『古事記』だって、「語られる言葉をそのまま文字化した文章──口誦文芸」(328頁)で、宣長は、「此記は、もはら古語を伝ふるを旨とせられたる書なれば、中昔[ナカムカシ]の物語文などの如く、皇国の語のまゝに、一もじもたがへず、仮名書にこそせらるべき」と言っている。


 『無常といふ事』に収められた「西行」の中で、小林秀雄は、「表現力の自在と正確とは彼[西行]の天稟であり、これは、生涯少しも変らなかった。彼[西行]の様に、はっきりと見、はっきりと思ったところを素直に歌った歌人は、「万葉」の幾人かの歌人以来ないのである。」と書いている。
(これを引いたあとに続く文章の中で、橋本治さんは、「《はっきりと見、はっきりと思ったところを素直に》という、小林秀雄の「正直ならなんでも出来る」理論にも、いささか飽きて来た。」(272頁)と書いているが、このことは、ここでの話題とは直接の関係がない。)
 また、その口調を改めなかったら破門するぞ、と言う師の賀茂真淵がいて、それを「一向気にかけなかった様子である。」と小林秀雄に評される本居宣長がいる。この、和歌の贈答に関する賀茂真淵本居宣長のやりとりをめぐって、橋本さんは次のように書いている。


《第一章でも言ったように、《是は新古今のよき歌はおきて、中にわろきをまねんとして、終に後世の連歌よりもわろくなりし也。右の歌ども、一つもおのがとるべきはなし。是を好み給ふならば、万葉の御問も止給へ。かくては万葉は、何の用にたたぬ事也。》(『本居宣長』二十)と言われても、自身の詠みぶりを一向に改めなかった本居宣長のことを、私は、「賀茂真淵と率直に話をしたかったから、おしゃべりをしたかったから」と思っている。三十七歳の時[橋本治さんが初めて『本居宣長』を読んだ時]に、既にそう思っている。それは私が、世の人から「なんだこれは?」と思われた小説『桃尻娘』の作者だったからである。「感じたことを感じたまま言葉にすることのなにが悪い?」と思っていて、それに対する明確な答がどこにもないと思っていたところへ、とんでもない是認が登場してしまったのである。》(178頁)


 この「とんでもない是認」は、『本居宣長』(二十一)の「更にとんでもない」是認につながっていく。
 そこで小林秀雄は、本居宣長の『古今集遠鏡』(「遠鏡」とは現代語訳の意)を、宣長の思想を理解する上での「大事な著作だ」として、ただ一例だけ挙げているのだが、これが、とんでもない俗語訳なのである。『古今集』巻第十九にある施頭歌の返し、「春されば 野辺にまづ咲く 見れどあかぬ花 まひなしに ただ名のるべき 花の名なれや」の「現代語訳」で、ここに出てくる。
 この、「花なれや」の「や」を「へへへへ へへへへ」に訳[ウツ]した、「ただでさえ下らない俗語訳を更に下品にした」と言われかねない過剰な「現代語訳」を、敢えて提出した宣長、敢えて一例とした小林秀雄


《この二人のやったことは、《徹底したやり方》を通り越した、「容赦ないやり方」である。そういうものを、三十七歳の私が読むのである。その時の私は、「『桃尻語訳枕草子』を始めなきゃな」と思っている私なのである。「めんどくさい仕事だし、やったってどうせまた、″こんなろくでもないことしやがって″と言われるのがオチだよな」と思っているのである。『本居宣長』のこの部分は、そんな私に、「やれ! やれ! お前の信じる通りにやれ!」と言っているようなものなのである。それを言うのが誰かと言えば、本居宣長小林秀雄という、とんでもない二人なのである。
 それを言う小林秀雄を、私が「いい人」と思うのは当然だろう。》(182-183頁)


 ここで、私は、はたと気づく。そうか、桃尻語のルーツだったんだな、橋本治さんが『小林秀雄の恵み』で探しているのは。
 本居宣長は、「自分の生の声」(和歌)のルーツを探して『古事記伝』を書いた(「凡て神代の伝説[ツタヘゴト]は、みな実事[マコトノコト]にて、その然有[シカア]る理は、さらに人の智[サトリ]のよく知ルべきかぎりに非れば、然[サ]るさかしら心を以て思ふべきに非ず」)。
 小林秀雄は、「学問する知性」のルーツを探して『本居宣長』を書いた(「《はっきりと見、はっきりと思ったところを素直に》という、小林秀雄の「正直ならなんでも出来る」理論」)。
 そして、橋本治さんは、「桃尻語」のルーツを探して『小林秀雄の恵み』を書いている(「感じたことを感じたまま言葉にすることのなにが悪い?」)。小林秀雄の「恵み」とは、小林秀雄本居宣長の「啓示」であり、小林秀雄本居宣長による桃尻語の「是認」である。
 この三つの事例に共通しているのは、本居宣長の和歌、小林秀雄の学問、橋本治の桃尻語が、すべて言葉に関係していること、それも書き言葉としての「文語」ではなくて、話し言葉(おしゃべり)もしくは語られる言葉(口誦)としての「口語表現」に関係していること、そして、これが肝心なところだと私は思うのだが、それらがすべて、本居宣長小林秀雄橋本治の身の内に「既にあった」ものだったことである。(この「既にあった」という語は、明日抜き書きするつもりの、『小林秀雄の恵み』第五章に出てくる。)
 このことに気づいたことで、私がここ数日やっている作業、「抜き書き『小林秀雄の恵み』」とでも名づけるべき作業の目的はほぼ達成できた。
 桃尻語が「桃尻」という身体に関係する言葉を冠にしていること、そして、「感じたことを感じたまま言葉にする」という定義が与えられていること、それだけで、もうほとんどすべてが言い尽くされている。
 だから、ここで作業を終えてもいいようなものなのだが、ところが、『小林秀雄の恵み』はこの後、とんでもない展開を見せていく。


     ※
 いま、「話し言葉(おしゃべり)もしくは語られる言葉(口誦)」と書いた。この「話す」と「語る」はまるで違うというのが、『かたり──物語の文法』での坂部恵さんの説。
 まず、「話す」は、人と人の水平的な関係をその成立の要件とする言語行為で、話し手は、「日常効用の生活世界の水平の時間の流れ」の上にある。また、「はなし」は、「いま」にかかわる時制(「目前の行動・効用・利害関心にかかわる場面にたいする注意を喚起し、聞き手を緊張に誘う信号」を含んだ時制)を持つ。
 これに対して、「語る」の方は、神仏と人の垂直的な関係をその成立の要件とする言語行為で、語り手は、「〈ミュートス〉の遠くはるかな記憶と想像力の垂直の時間の次元の奥行」に参入する。また、「かたり」は、「むかし」にかかわる時制(「現在聞き手にさしむけられている言語行為が、さしあたって当面の行動状況や利害関心とは無関係であり、そのかぎり単なる〈お話〉として聞いてもらってさしつかえがないという、〈緊張緩和〉への誘いの信号」を含む時制)を持つ。
 坂部恵さんは、垂直の言語行為のもう一つの類型として、「かたり」よりもっと垂直度の高い「うた」を導入し、「はなし──かたり──うた」という図式(「原理的にはあらゆる言語行為の、時に顕在的な時にまた潜在的な成分として含まれる構成成分の位置関係を示すもの」)を提示している。


 ここで、坂部恵さんの議論から、橋本治さんによる桃尻語のルーツ(土壌)探しに関係すると思われるものを、三つ取りあげる。
 その1.「うたう」は、同じく神仏との垂直的関係にかかわる「つげる」や「のる」が「上からの言語行為」であるのに対して、「となえる」や「いのる」と同様、「下からの言語行為」の性格をもつ。しかし、「うた」が神がかりあるいは憑依の状態の人の口から出る場合は、「上からの言語行為」の様相を帯びる。また、歌垣、贈答歌、連歌などのように、むしろ水平的な相互性の場で「うた」が機能する場合もあること。(神仏との「おしゃべり」としての「うた」というものを考えることができる。ただし、神仏は返歌を寄こさないだろうが。)
 その2.物語を含む詩的メッセージないし詩的作品のみならず、科学の理論体系も、等しく「かたり」の範疇に属するものであること。(科学理論のみならず、およそ「学問」一般、思想の類も「かたり」の範疇に含めていいだろう。)
 その3.言語行為を含む、人間行為一般に関する図式として、「ふるまい──ふり──まい」が提示されていること。


 以上のことを素材として、一つの「仮説」を立ててみる。
 本居宣長は、「うた」(和歌)のルーツを探して「かたり」(古事記)へ向かった。
 本居宣長の「うた⇒かたり」を受け継いだ小林秀雄は、「かたり」(学問=思想)のルーツを探して「はなし」へ向かった。正確には、「学問する知性」のルーツを探して、「はなし」の言語行為が根ざしている「日常効用の生活世界」へ、つまり「下克上」の世界(武者たちの世界)へ向かった。橋本治さんの言葉でいえば、「たやすくスローガンとなって当たり前に流通する「思想」ではなく、その源泉となる「人のあり方」」(257頁)の方へ向かった。
 そして、小林秀雄の「かたり⇒はなし」を受け継いだ橋本治さんは、「はなし」(桃尻語)のルーツを探して「うた」へ向かった。「うた」と「まい」による神仏とのおしゃべり、たとえば能楽の世界へ、日本古典文学の方へ。