桜と水の音──「空白」という形で存在する神

 橋本治さんは、『小林秀雄の恵み』の第八章「日本人の神」で、とんでもないことを言い始める。


 そこには、小林秀雄にとっての「学問する知性」とは、「テキストの中に″音″を聞き出す感性」を備えることであると書かれている。それはまた、「物のあはれ」のことであり、「知ると感ずるとが同じであるような、全的な認識」(『本居宣長』十四)のことである、といったことも書かれている。
 「全的な認識」という西洋由来の考え方に対する批判、というか、知ることと感じることを分けて考える、小林秀雄の「全的な認識」という考え方が、橋本治さんには「分からない」といったことも書かれている。
 また、「近代の起点が近世にまで遡ったら、近代と近世の間にある堤防は決壊して、日本の近代は水没する」と、橋本治さんは思うのだが、「小林秀雄という近代的な知性」は、そのように考えない。逆に、「近代の起点が近世にまで遡ったら、江戸時代という″近代への遠回りの時間″がなくなって、すぐそこから近代は始まってしまう」と考える。そういうことも書かれている。
 でも、それらはどれも、私が思う「とんでもないこと」ではない。


     ※
 とんでもないことというのは、橋本治さんが「西行と神」という話題を持ちだしてくることだ。
 「西行と神」であって、「西行と仏」ではない。「神」は、カミ(迦美)のことではなく、キリスト教的な一神教の神のことである。つまり、「個である人と対応する存在としての神」、(「同伴者としての仏」ではなく)「導く神」のことだ。
 橋本治さんは、日本の中世に、そのような意味での神は「空白」という形で存在しうると書いている。西行には「神」がいる。「空白として存在せざるをえなくなった神」がいる。


《そういう「神」は、中世以前の日本にはいたのか? 答えはノーである。そういう「神」を、その後になって、日本人は求めるようになったのか? 近代以前の日本の主流に限っていえば、ノーである。(略)つまり、日本人はそういう「神」を存在させないし、存在するのなら、西洋的な「神」は「空白」という形でしか存在しないのである。(略)なぜ日本では、西洋的な神が「空白」として存在しえたのか? そして、その日本人は、なぜ近代になって、「空白として存在してしまっている神」に対して、濃厚な感情を示すようになるのか? 「孤独」や「個であることの索漠」を言う日本の近代文学のある流れは、そこに「神」というものを代入してしまえばすっきりと問題が解消してしまえるようなものにも見える。近代になって後、日本人はなぜ「救済への飢渇」をあらわに表明してしまうのだろうか? 既に西行に於いて「近代」が、《西行には心の裡で独り耐えているものがあったのだ。》[小林秀雄西行」]という形で実現されてしまっているにもかかわらず。》(298-299頁)


 橋本治さんは、たとえて言えば、として、同伴者としての仏が「友人」であるとしたら、導き手としての神は「恋人」のようなものだと書いている。
 そして、「″恋人″という概念が存在しない世界の中で、昔の人はどのように生きたか」という、救済をめぐる問題に関して、西行本居宣長にとっては、桜こそが、「我の中核に存在するもの」であると同時に「恋の対象になる彼」であった、つまり、神に近似する存在だったと書いている。


《…「人ならぬもの」が「我」になりまた「彼」になってしまうことは、一向に珍しくない。それは日本人であることに限らず、詩作表現の場では、世界中のどこにあっても珍しくない。珍しいのだとしたら、十二世紀の段階で「我」を詠むことにその生涯のほとんどを費やした西行のような人が珍しくて、勤勉で真面目で性的に淡白でもある本居宣長のような人が、憑かれたように「桜への恋」を詠み続ける、そのことが珍しい。そのようなことを可能にする主題であり対象の代表格が、日本人にとっての「桜」で、昔の日本人は、「桜」というものを使って、「自分であること」を表現していたのである。
 そのような作用をする桜は、当然のことながら、西洋人にとっての「神」に近似している。近似してはいるが、「神」ではない。桜は神よりも自由で、作用する主体なんかではない。「そのような作用をする桜」は言葉の彩で、桜にそのような作用をさせているのは、人間なのである。「神」は人を規制する主体だが、桜はそのようなものではない。人間の側が、桜を勝手に操作しているのである。その点で、「神」に近似する桜は、人間を自由にしてしまう。そして、そういう「自由」が起こりうる理由も、そうそう難しくはない。なぜかと言えば、そもそも日本人にとって、「神」というものが「空白」として存在していたからである。「神という空白」があったわけではない。「我」に対応するものがなにもないから、そこはただ「空白」だったのである。「空白」だから、桜も代入しうる。後になって、西洋近代に触れて、「西洋には″我″に対応する形での″神″もあるのだなァ」と知った時には、「神」をも代入しうることが出来る。「桜は″神″に近似している」というのは、その後の経緯を踏まえてのことで、それをもっと正しく言うのなら、「西洋の神は、日本人の桜に近似している」なのである。重要なのは、そこに代入が起こりうる「空白」を、昔の日本人が持っていた──発見してしまっていたという、そのことである。


 話は難しいが、中身はそんなに難しくない。ある時、一人の日本人が「自分に応えてくれるものはなにもない」という発見をしてしまったということだからである。
 その日本人が、西行である。だから彼は、「自分」ばかりを問題にしている。《自意識が彼の最大の煩悩だった》[小林秀雄西行」]である。西行は、「自分」に振り回され続ける。そして、それも仕方がない。西行には、応えてくれるものがなにもないからである。
 近代的に考えれば、「西行は自分の中に″我″という自己を発見した」になるのかもしれないが、西行的には逆である。「西行は、自分の外に、自分に応えてくれるものがなにもないことを発見した」で、西行は、「自己」より先に「空白」を発見しているのである。その「空白」を発見したのが彼で、その「空白」は誰も埋めてくれない──「空白」があることが苦しいのなら、その「空白」を自分で埋めるしかない。》(303-304頁)


 だから、西行は、「自助努力を第一とする職人的な日本の心性によくマッチする」(305頁)。西行の歌は、「自助努力をすべてとする現実社会に生きる人を共鳴させる「生の歌」となるのである」(311頁)。
(この「生の歌」は、本居宣長について言われた「生の声」を想起させる。また、これはあくまで備忘録として書いておくのだが、西行は、かの「学問をする知性」のルーツであった信西と同時代の人である。)
 西行とくれば芭蕉である。西行は「強い自意識を持った人」だが、「強い人」ではない。平安末期の西行に対して、近世の江戸時代を生きた芭蕉は「強い人」であった。


芭蕉の強さは、「自分」をまったく問題にしないでいられるという、そういう質の強さである。芭蕉の句の不思議さ──完成度の高さもそこにある。
 たとえば、有名な《古池や蛙飛こむ水の音》である。《己を空しくして》[小林秀雄の講演「歴史の魂」に、「己を空しくして自然を余程観察しなければあんな俳句は出て来やしません。」とあるのを踏まえている]である以上、ここに芭蕉はいない。《水の音》がしたって、芭蕉は聞いていないのである。だから、この句に接して「作者の芭蕉は何を考えているのだろう」と考えても、無駄なのである。主体は、「水の音を聞く芭蕉」ではない。もちろん、「古池を見ていると蛙が飛び込んで、その水音が私をびっくりさせた」でもない。この句の主体は《水の音》なのである。「そういう《水の音》がある」──ただそれだけなのである。そういう《水の音》の存在を示すのだから、芭蕉はその《水の音》を聞いてはいるのだが、そんなことはどうでもい。ただ、そこに《水の音》があることが重要なのである。もちろん、「《水の音》が聞こえる」ではない。人の耳に聞こえようと聞こえまいと、人が聞こうと聞くまいと、そんなこととは無関係に、その《水の音》はあるのである。
 「《水の音》がある」ということに、なんの意味があるのか? 簡単である。この《水の音》を「神」に置き換えてしまえばいい。つまり、「神がいる」である。そんなすごい一行になってしまったら、「神がいることになんの意味がある?」という疑問は引っ込んでしまうだろう。そんな疑問があろうとなかろうと、そんな事情を超越して、神は存在してしまっているのである。》(313頁)


 この、近世人の強さについて、橋本治さんは、「神のいる合理性」という言葉で説明している。


《近世という時代は、「神という非合理」などとは言わない。それを言ってしまえば、もう近代である。近世という時代は、非合理かもしれない神を一方に存在させて、その残りを合理性で仕切るという時代なのだ。神という非合理の支配下にあれば中世だが、近世という時代は、かつて支配的だった神をそもままの位置に安置し、距離を置いて隔離する──だから、支配はされないのである。それが近世で、だからこそ近世を登場させる契機となるルネサンスの中に、ちゃんと神はいる。神という非合理と、合理性を求める人とが調和的でるのは、神と人とが距離を保ちえた近世の特徴なのである。一方には神という非合理があり、しかし人の思考は、それとは裏腹に、いたって合理的なのである。
 上田秋成だって本居宣長だって、レオナルド・ダ・ヴィンチだってミケランジェロだって、「神を信じない」とか「神という非合理を拒絶する」なんてことを絶対に言わない。彼等のあり方が根本のところで「神という非合理とは相容れない合理性の塊」であったとしても、彼等近世人は、神と調和的なのである。(略)
 近世というのは、そういう時代なのである。だから、「本居宣長にとって神とはいかなるものか?」という問いには、意味がない──本居宣長が『古事記』という神が実在する世界を扱っているにもかかわらず、この問いには意味がない。そう考えれば話は明快になって、『本居宣長』の後半だってもっと整理されるし、小林秀雄だって、実はその手前まで行っているのである。しかし近代人には、そういう放擲が出来ない。神は「非合理」になって、もう論理の世界から消滅してしまっているから、そんな放擲を可能にするためには、消滅した「神」をもう一回どこかから引っ張り出してきて、再構成をしなければならない──そういうことになったら、改めて「神とはなんだ? 神とはなんだったのか?」という大問題に直面して、手に負えなくなってしまう。しかし、近世という時代は、「神をちゃんと存在させて、しかしそれとは関係なく──」という形で平気で合理性を存在させてしまう時代なのである。存在していて関係ない神を放擲してしまうのは、簡単なことなのである。ある意味では、驚嘆すべき時代である。(略)
 おそらく、日本の近世をこんな風に位置付ける人はほとんどいなくて、日本の思想史を「近世=ゴール」と考える人もいないだろう。しかし、近世は日本の思想のゴールなのである。だから、第四章で言ったように、近世の日本人は仏教を「思想」として採用しなくなる。近世に花開いた儒学も、国学も、花開いたまま近世の中で孤立する。近代は国内で用意されず、外国からやって来る。だから、近代からやって来た小林秀雄に「近世的意味」は発見されず、「ここに近代はある。よく完結されている」と位置付けられてしまう。私はそういう寂しいゴールが嫌いなので、「大問題から自由になった近世は、どうして実現したのか?」と考えるのである。》(289-291頁)


     ※
 第八章からの抜き書きは、このあたりで切り上げる。
 抜き書きしながら、いろいろの考えが頭をよぎっていったのだが、抜き書きに夢中になっていて、メモをとるのをうっかり忘れていたので、今はもうきれいに消えてなくなった。(それを見失わないで、きちんと文章にして残すことができたなら、たとえば『橋本治の恵み』とでもいう記録を生み出すことができるだろう。)
 一つだけ覚えているのは、この文体(カキザマ)は、どこか小林秀雄に似ているということ。似ているのではなく、小林秀雄から「近代的知性」の悪弊をひきはがしてしまうと、こういう文章になるのではないか。
 あるいは、本居宣長の時代には、その時代のタブーがあり、小林秀雄の時代には、その時代のタブーがあった、そのタブーを取り払ってしまうと、橋本治さんの文体(「書きざま」というより「言いざま」)になるのではないかということだ。
(こういう書き方をすると、橋本治さんの生きている時代にも、その時代のタブーがある、ということが暗にほのめかされているように読めるが、そういう意図はない。いや、こうしてわざわざ注記しているくらいだから、やっぱり意図はあるのかもしれない。)
 早い話、先の、芭蕉の「水の音」をめぐる文章を、次のように書き直すと、いかにも小林秀雄らしくなりはしないか。


芭蕉の強さは、「自分」をまったく問題にしないでいられるという、そういう質の強さである。たとえば、有名な《古池や蛙飛こむ水の音》である。ここに芭蕉はいない。「そういう《水の音》がある」──ただそれだけなのである。「《水の音》がある」ということに、なんの意味があるのか? そんな疑問があろうとなかろうと、そんな事情を超越して、《水の音》は存在してしまっているのである。》