物のあはれを知らなければ「考える」などということは始まらない

 『小林秀雄の恵み』を書くことで、橋本治さんは、結局のところ、何が言いたかったのか。


 終章「海の見える墓」で、橋本治さんは、「小林秀雄を必要としていた日本人とは、なにものだったのだろう」と問い、「小林秀雄の思想は、一言で言ってしまえば、「読むに値するものをちゃんと読め」である」と書き、「小林秀雄の『本居宣長』は、「物のあはれを知る必要」を幾重にも重ねて説く本で、そのことが日本人にとっては意味があった」と書き、この「読むに値するものをちゃんと読め」が起こるためには、「物のあはれを知る必要」を理解する必要があると書く。


本居宣長は、「物のあはれを知らなければ、″考える″などということは始まらない」という前提に立ち、しかし、小林秀雄はそれを知る以前から「考える」をしていて、その後に「物のあはれを知らなければ″考える″などということは始まらないのではないか?」と気づいた人である。もちろん私は、『当麻』に於ける小林秀雄の「敗北」を踏まえて言っている。
 小林秀雄の思索は、「物のあはれを知らなければ″考える″などということは始まらないのではないか?」というところから、改めて始まる。その小林秀雄の思索のゴールが『本居宣長』であるのは当然で、そこへ至るまでの間、小林秀雄自身が自分の考え方の「正しさ」に関して微妙な保留を置いていることもまた、当然である。その点で、『考えるヒント』の語は、「小林秀雄自身にとっての考えるヒント」でもありうるのである。》(400頁)


 ということは、小林秀雄は『本居宣長』で、「物のあはれを知らなければ、″考える″などということは始まらない」ということを、実演して見せているのだ。(「実演して見せる」は、橋本治さんが使っている。)


《「物のあはれを知る必要」を理解して、書き手の小林秀雄はテキストを読む――その行為がそのまま、読者の読むテキストとなる。そのことによって読者は、「″物のあはれを知る必要″を理解する必要があるのではないか」と理解する――「そのように理解せよ」と、読者の前にテキストを提出して行く小林秀雄は、時として説く。なんだかややこしいが、この「テキストを読みながらテキストを創出して行く小林秀雄」と読者の関係は、あるものと似ている。出家者となって「彼の道」を行く西行と、その同伴者として存在する「西行の行く道を設定した動機」ともなる、仏である。もちろん、小林秀雄が「仏」で、読者が「西行」である。読者は仏に導かれる。そして、導く側の仏は「同伴者」としてあるだけで、なにもしない。よき仏としてあるために、小林秀雄は《私の書くものは、随筆で、》と白を切る。読者に対して「同伴者」であることが仏の義務で、であればこそこの仏は、読者に一切介入をしない。うっかりすれば、読者の方が「仏の介入」を求めて来るから、「私は介入をしない存在である」ということを、時々明らかにしなければならない。読者という西行に対して「仏」であろうとして、小林秀雄は実に周到なのである。なぜそこまでの周到が用意されねばならないのかというと、読者に対して仏である小林秀雄が、彼の読むテキストに対しては「西行」だからである。小林秀雄が「思想」になるのはこの一点で、このあり方こそが「小林秀雄の思想」なのである。(略)
 仏はただ「同伴者」としてあって、仏を同伴者とした者に一切の介入をしない。「介入をしてくれた」と信じるのもまた自由――という形で、介入をしない。それが、日本に定着した仏教のあり方である。そのあり方に沿って、小林秀雄もまた「仏」なのである。
 ただそれだけのことで、ここに問題があるとしたら、「仏とはそういうものだった」ということを、多くの日本人が忘れているか、知らないでいるかのどちらかである。「そこに仏はいる。だから、その周辺に思想は存在する」――日本人にとっての「思想」とは、そもそもそういうものでもあったのだというだけである。
 これを踏まえてしまえば、小林秀雄が行っていた「評論」というものがいかなるものかも、すぐに分かる。「評論」とはすなわち、読者をいずれかへ向かわせるトンネルなのである。それはただ「トンネル」で、そのトンネルがどこへ抜けるかは分からない。(略)
 この本の初め(第一章の二)で、私は《小林秀雄のことを書かなければならない私は、それをせずに余分な「自分のこと」を平気で書いている。》と言い、それをするのは、『本居宣長』という本が《読み手のあり方を問題にする本だから》と言っている。それはもちろん、『本居宣長』一冊に限ったことではない。「抜けた先をどことするのかは抜けた者次第」であるような評論は、結局のところ、すべてが「読み手のあり方を問題にする本」となる――それが、日本に於ける「思想」のあり方なのだ。》(402-405頁)


 こうして、橋本治さんは、「「読者に体験をさせることこそが思想の営みである」と思えばこそ、「『本居宣長』を読む」ということを体験するとどんなことが起こるかを示したくて、本書の第一章から第十章がある」と書き、終章の末尾に、次の言葉を刻む。


《近代の日本人は、エモーショナルなものに惹かれる自分自身を、どこかで煩わしがっていたのかもしれない。それを分析して、いつの間にか「エモーショナルな」を我が身に備えることを忘れてしまったのかもしれない。「エモーショナルなものを我が身に備える」ということは、「物のあはれを知る」とまったく同じことだと私は思うけれど。》(413-414頁)


 で、橋本治さんは、結局のところ、何が言いたかったのだろう?