『魂を漁る女』ほか

中公文庫から出たマゾッホの『魂を漁る女』を買って、第一部の冒頭を少し読んだ。
国枝史郎の『神州纐纈城』とか白井喬二の『富士に立つ影』の虚構世界を思わせるゾクゾクする書き出し。
(いま引き合いに出した二つの作品は、もうかれこれ十年単位の昔に途中まで読んで休憩中のまま現在にいたる。)
ジル・ドゥルーズが絶賛した知られざるマゾッホ最高傑作 謎の美女が繰り広げる官能と狂気の世界」。
腰巻きにそう書いてある。
後段はともかく前段のドゥルーズ云々は、これがはたしてウリになるのかどうか。
昨年の秋も深まった頃、種村訳『毛皮を着たヴィーナス』を再読した際、クロソウスキーの『ニーチェと悪循環』や『わが隣人サド』とあわせてドゥルーズの『マゾッホとサド』を同時進行的に読み進めていた。
松浦寿輝さんの『官能の哲学』や『口唇論』も。)
毎日数頁ずつ熟読かつ玩味して、恍惚とはいかなくても陶酔しはじめていたのに、仕事が忙しくなって中断したままになっている。
スピノザマゾッホ
この異様な取り合わせをドゥルーズでもって結合させてみるか。
夜、『脳と魂』の第3章「世間と個人」を読む。
この二人は呼吸が合いすぎている。
養老さんがしだいにべらんめえ調(ビートたけし風?)になっていくのがおかしい。