単身赴任先で読む本

今朝の「天声人語」で、無人島で読む本、独房で読む本の話題がとりあげられていた。
孤島や獄舎でなく、自宅や通勤電車内でもなく、単身赴任先で読む本の選択に困っている。
私事ながら、といってもこのブログで書いているのは私事ばかりなのだが、この4月から2年か3年ほど、同じ県内の郡部に「単身赴任」することになった。
いま住んでいる神戸の垂水というところから、電車とバスを乗り継いで2時間ほどのところなのだが、わけあって「赴任」しなければならない。
独り暮らしには向いていない躰と精神と生活習慣の持ち主だけに、いまから気があせって、あれこれもっていく生活備品選びや、あちらでの「生活設計」などに思いをめぐらせては時間をつぶしている。
そういうわけで、ようやく身体的危機(花粉症)と精神的危機(怠け病)から抜け出せたと思った矢先の、社会的もしくは生活的危機におそわれて、このブログに向かう時間もこの先当分ままならない。


で、単身赴任先に持っていく本(とりあえず、読む前に持っていかなければならない。なにしろ近くに本屋がないという土地だから)については、とりあえず『物質と記憶』(ベルクソン)と『記憶と生』(ドゥルーズによるベルクソン撰文集)は決定したものの、あとがなかなか決まらない。
なぜたくさんの本を読むのか。それは再読本、愛読本をみつけるため、というのが「公式コメント」。
単身赴任というのは、私にとって小さな死、独房生活のようなものだから、この際、かつて熱中した本を再読、三読するか。
それともこれまで読めずにいた古典や長篇や全集をじっくり数年かけて読み込むか(『源氏物語』とか『ギリシア悲劇』とか『チェホフ全集』とか)。
などと、千々に乱れているうち、ストレス解消の過食症ならぬ本の買いだめに走ってしまった。
読み始めるととまらなくなった『カール・マルクス』(吉本隆明)や、ようやく物語の骨格が見え始め佳境に入りつつある『Op. ローズダスト』(福井晴敏)等々、読みかけの在庫本がいやになるほどたまっているのに。

以下、最近(というか、今日)買った本の書名だけあげておく。
結局、ほとんど読めず赴任先に持っていくことになると思う。
佐藤幹夫村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる』(PHP新書)。
中沢新一『芸術人類学』(みすず書房)。
中野昌宏『貨幣と精神──生成する構造の謎』(ナカニシヤ出版)。
丸谷才一『日本文学史早わかり』(講談社文芸文庫)。
エリザベス・キューブラー・ロス『死、それは成長の最終段階──続 死ぬ瞬間』(鈴木晶訳,中公文庫)。