心に残った本(2020年)
今年の収穫。
大江健三郎を「発見」したこと。『同時代ゲーム』を途中で放り投げて以来40年、食わず嫌い状態が続いていたのが、なぜか気になった800頁越えの岩波文庫版自選短篇集を約半年の逡巡を経て購入し、ひと月のあいだ読み耽った。高校生の頃の感覚が甦った。
長年探していた創元ライブラリ版中井英夫全集10『黒衣の短歌史』の古本を定価並みの価格で入手し、コロナ禍の在宅生活のなかで読書の愉悦を味わいながら読み終えたこと。
コロナ禍がもたらしてくれたことは他に、普段ならたぶん腰を据えて読むことができなかったと思う『武満徹・音楽創造への旅』(立花隆)や『かたちは思考する』(平倉圭)をノートを取りながら読了したこと。
前々からの懸案だったクロード・レヴィ=ストロースの『神話論理』全巻読破の糸口がつかめたこと(第Ⅰ巻で中断)。
『定本 日本近代文学の起源』(柄谷行人)の再読を経て、大江健三郎とは違う意味で敬遠していた中上健次の『枯木灘』を読んだこと。
コロナ禍とは関係なく、今年最大の収穫は入不二基義著『現実性の問題』と出会えたこと。
【哲学系】
●入不二基義『現実性の問題(The Problem of Actu-Re-ality)』
◎重久俊夫『西田哲学とその彼岸──時間論の二つの可能性』
◎近内悠太『世界は贈与でできている──資本主義の「すきま」を埋める倫理学』(電子書籍)
◎落合仁司『構造主義の数理──ソシュール、ラカン、ドゥルーズ』
【人文系】
●工藤進『声──記号にとり残されたもの』
●諏訪哲史『偏愛蔵書室』
◎細見和之『ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む──言葉と語りえぬもの』(再読)
◎柿木伸之『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』
◎茂木健一郎『クオリアと人工意識』(電子書籍)
◎中山元『アンドロイドの誕生──ラカンで読みとく『未来のイヴ』』(電子書籍)
【政治系】
【数学・サイエンス系】
●森田真生『数学の贈り物』
◎西郷甲矢人・田口茂『〈現実〉とは何か──数学・哲学から始まる世界像の転換』
◎中沢新一・山極寿一『未来のルーシー──人間は動物にも植物にもなれる』
◎橋元淳一郎『空間は実在するか』
◎マーク・チャンギージー『ヒトの目、驚異の進化──視覚革命が文明を生んだ』(電子書籍)
◎スティーヴン・ミズン『歌うネアンデルタール──音楽と言語から見るヒトの進化』
【アート系】
◎立花隆『武満徹・音楽創造への旅』
◎平倉圭『かたちは思考する──芸術制作の分析』
◎末永幸歩『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』(電子書籍)
【文学系】
●『中井英夫全集[10] 黒衣の短歌史』
●柄谷行人『定本 日本近代文学の起源』(再読)
●『柄谷行人講演集成 1985-1988 言葉と悲劇』(再読)
●川端康成『雪国』(再読)
●髙樹のぶ子『小説伊勢物語 業平』(電子書籍)
●『大江健三郎自選短篇』
●大江健三郎『万延元年のフットボール』(電子書籍)
●中上健次『新装新版 枯木灘』(電子書籍)
◎村上春樹『一人称単数』(電子書籍)
◎多和田葉子『文字移植』
【エンタメ系】
◎恩田陸『祝祭と予感』(電子書籍)
◎相沢沙呼『medium 霊媒探偵城塚翡翠』(電子書籍)
◎カリン・スローター『破滅のループ』
◎リー・チャイルド『警鐘』(電子書籍)
◎マーク・グリーニー他『レッド・メタル作戦発動』(電子書籍)
◎マーク・グリーニー『暗殺者の悔恨』(電子書籍)
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- PDF版『La Vue』No.2(2000/06/01)<ペーパー版からの復刻です>
ジェンダー・立ちすくむ経験 落合祥堯
フットボールの進歩についての試論 山口秀也
商品の呪術的性格の脱魔術化に向けて 平野 真
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- 連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
第58章 映画/モンタージュ/記憶(その4)
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第59章 映画/モンタージュ/記憶(その5)
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中原紀生
映画的なもの、あるいは、「メカニカルな側面」(「知覚=移動カメラ」と
「想起=モンタージュ」の水平軸)と「心的現象の側面」(記憶の垂直軸)、
もしくは、変換や転換や翻訳に際して「残るもの」と「失われるもの」(牧野
成一『日本語を翻訳するということ──失われるもの、残るもの』)の二元性
を旨とする映画的構造をもったもの。そのひとつの典型が、この論考群で考察
の対象(というか、素材)としてきた王朝和歌であって、このことが意味する
のは、ここまで議論してきた事柄、すなわち、映画とは夢のパースペクティヴ
の引用で、パースペクティヴがひらく空間の内部において、移動カメラが切り
とったイメージ群が、遠景化(ロング・ショット)や近景化(クローズアップ
・ショット)、焦点移動(トラッキング・ショット)、等々の技法によってモ
ンタージュされ、作品化され、それが観客の心的現象として投射され、感情移
入されて、映画的なものが完成する、これら一連のプロセスが、そっくりその
まま王朝和歌の世界にもあてはまる、ということにほかなりません。
(Webに続く)
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- 連載〈心霊現象の解釈学〉第20回●
入ってはいけない部屋
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広坂朋信
前回、J・P・サルトル『存在と無』から幽霊屋敷の理論を抜き書きした。サ
ルトルはpossedeというフランス語に「所有されている」のほかに「とり憑か
れている」という意味もあることを活かして、幽霊屋敷とは、かつてその家宅
を所有していた死者についての記憶が物象化したものだとした。
一方で、これはあくまでも近世怪談の場合だが、日本の伝承では幽霊が家屋
・土地に憑依するケースは(皿屋敷伝説の「お菊を幽霊とするか妖怪とするか」
問題は残るものの)、少なくとも文献上は少ない。もっとも、少ないだけで、
無いというわけではない。これも以前紹介した『新選百物語』中の一話「思ひ
もよらぬ塵塚の義士」で「狐屋敷」と呼ばれた廃屋に住み着いていたのは狐で
はなく亡霊だったし、高田衛編著『大坂怪談集』(和泉書院)に収録されてい
る「袴幽霊の話」でも化物屋敷の化物の正体は亡霊だった(この二つの話には
何かの近縁関係があるかもしれない)。しかし、土地・家屋に憑くものは神霊
・精霊・妖怪だと伝えられる場合がほとんどである。
(Webに続く)
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- 連載「新・玩物草紙」●
古井由吉の仮名往生試文/別役 実
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寺田 操
新型コロナウィルスがじわじわとしのびよる2020年2月18日、作家・
古井由吉氏が82歳で死去された。何度目かの『仮名往生伝試文』河出書房新
社/1989・9)を開いた。三月十七日、火曜日、曇、日付を持つ文に目を
とめた。年末から作者は風邪をひいていて、小春日和が二日続いて、また寒く
なったが、風邪気は抜けている。その後に続くのが「疫病流行」についての次
の記述である。
《疫病流行の前年とは、どんな雰囲気のものなのだろう。どんな生き心地の
ものなのか。もちろん、疫病はいきなり始まるものではない。余剰の乏しい時
代ならば、ほとんどかならず、不作凶作が先行するのだろう。飢饉と疫病はや
がて区別もつかなくなる。(略)何年にもわたり、おもむろに始まるのであり、
その前年というものはない。人の暦の段取りを待って起るものではない。》
(いま暫くは人間に)
(Webに続く)
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- Web論考アーカイブ(リンク集)●
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/ronko-archive.html.
2020年度企画として今年度より、ネット上のWeb論考を編集部の判断により、
適宜このサイトにリンクすることを企画いたしました。読者各位のお役にたて
れば幸いです。
いずれ論考数が増えてくれば、テーマ別に再編集する予定です。
(Webに続く)
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/ronko-archive.html.
Web評論誌「コーラ」40号発行のお知らせ
- 連載〈心霊現象の解釈学〉第18回●
バートルビー、または目をさえぎるもの
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広坂朋信
前回(第17回)、「ドゥルーズは幽霊を見たか」と題してドゥルーズによるベルクソン仮構作用説の解釈を見た。
ドゥルーズの『哲学とは何か』(河出文庫)におけるベルクソン解釈のベースとなっているのは、仮構作用は「知性による、死の不可避性の表象に対する、自然の防御的反作用」(ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』)だというアイデアである。知性は生の道具であるのに、その知性のもたらす「死は必然である」という表象は、生を意気阻喪させ、ややもすると人をニヒリズムに陥らせる。これに対して、生命は知性を欺くニセの知覚を生みだし、人をしてニヒリズムの穴にはまらぬよう回避させる。これがベルクソンの言う仮構作用のプロトタイプである。
(Webに続く)
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-18.html
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- 連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
第55章 映画/モンタージュ/記憶(その1)
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中原紀生
王朝和歌と映画との密接かつ隠在的な関係性について、──言葉を補うと、時代も離れジャンルも異なるふたつの領域における美的体験、つまり「詠歌体験」と「映画体験」とのあいだには、(それが本質にかかわるものか現象にすぎないか、あるいは内的構造がもたらす必然か外的状況に依る偶然か、等々の詮議はさておき)、なにかしら見えない関係性が潜んでいるのではないか、という私の直観が告げ知らせる仮説をめぐって──、この論考群では、これまでからさまざまな箇所で(その多くは、いわば備忘録のようなかたちで)言及してきました。
(Webに続く)http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-55.html
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- 連載「新・玩物草紙」●
雲をつかむ話/都市観察という方法
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寺田 操
多和田葉子「雲をつかむ話」(『雲をつかむ話-ボルドーの義兄』講談社文芸文庫/2019・4・10)は、「人は一生のうち何度くらい犯人と出遭うのだろう」という衝撃的な書き出しではじまる。多和田葉子の小説は、ある種の言語実験も兼ねているので、物語を多層的な視点から読むことを強いられ、想像力が試されているようで読む前から緊張する。この文庫を枕辺で少しずつ読んでいるのだが、ストーリーを追っていくことで日常のストレスを発散するミステリーやサスペンスなどの愉しみからは遠い場所に連れだされるため、なかなか前に進めない。かといって別の本を読むとせっかく連れ出された場所から、最初のページに引き戻されるという気がして枕辺から遠ざけることはできない。書き出しの続きは「犯罪人と言えば、罪という字が入ってしまうが、わたしの言うのは、ある事件の犯人だと決まった人間のことで、本当に罪があるのかそれともないのかは最終的にはわたしにはわからないわけだからそれは保留ということにしておく。」と、「犯人」と「犯罪者」とを区別することで、「犯」という漢字にまつわるさまざまな意味や姿態を、小説世界に組み込んでいく。意味は固定化されない、姿態は多層である、ということだろうか。
(Webに続く)
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- Web論考アーカイブ(リンク集)●
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2020年度企画として今年度より、ネット上の優れたWeb論考を編集部の判断により、適宜このサイトにリンクすることを企画いたしました。少しでも読者各位のお役にたてれば幸いです。
いずれ論考数が増えてくれば、テーマ別に再編集する予定です。
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心に残った本(2019年)
●中沢新一『レンマ学』(電子書籍)
●『井筒俊彦英文著作翻訳コレクション 存在の概念と実在性』
●永井均『存在と時間──哲学探究1』
●永井均『世界の独在論的存在構造──哲学探究2』
人文系で記憶に残った書物。
他に、井筒俊彦英文著作翻訳コレクション『言語と呪術』とW.ジェイムズ『宗教的経験の諸相』、入不二基義『あるようにあり、なるようになる──運命論の運命』と入不二基義・森岡正博『運命論を哲学する』。
●安藤礼二『迷宮と宇宙』
安藤系譜学の傑作。
ファシスト・宮沢賢治とアナキスト・夢野久作、『春と修羅』と『ドグラ・マグラ』(さらにベルクソンの『創造的進化』が)交響する。生命の発生・進化と意識の発生・進化(と言語の発生・進化)が重ね合わされる。
『光の曼陀羅 日本文学論』以来、久々に文芸批評を読む愉悦を味わった。
(系譜学的思考、類化性能の極致。由来や脈絡を異にするものの同質性・同型性を見出し、それらを物象(物証)と心象(心証)によって系譜づける思考。たとえばポー・篤胤⇒足穂、折口信夫⇒井筒俊彦⇒中沢新一⇒安藤礼二。小林秀雄⇒吉本隆明⇒柄谷行人⇒安藤礼二・若松英輔、等々。)
安藤本では他に『大拙』『吉本隆明──思想家にとって戦争とは何か』『列島祝祭論』を読んだ。いずれも濃い記憶が残った。
「能は、中世の神仏習合期、真言宗が理論化した即身成仏思想および天台宗が理論化した天台本覚思想にもとづき、仏教的な思考方法、その無意識の論理(「アラヤ識」)を舞台として表現したものであった」(『列島祝祭論』251頁)
●大野ロベルト『紀貫之──文学と文化の底流を求めて』
「哥とクオリア/ペルソナと哥」の参考書から二冊。(『新記号論』は『迷宮と宇宙』『存在と時間──哲学探究1』とあわせて今年の三冊。)
鈴木宏子『「古今和歌集」の創造力』、井崎正敏『考えるための日本語入門──文法と思考の海へ』、中西進『ひらがなでよめばわかる日本語』も記憶に残った。
柿木伸之『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』、酒井邦嘉『チョムスキーと言語脳科学』も大いに参考になった。
他に、辻邦生『情緒論の試み』とアントニオ・R・ダマシオ『感じる脳──情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』。
●加藤文元『宇宙と宇宙をつなぐ数学──IUT理論の衝撃』
一気読み。ただし内容が消失するのも一気。
●柄谷行人『世界史の実験』
●大塚英志『感情天皇論』
●吉見俊哉『平成時代』
政治社会系では他に橘木俊詔『「地元チーム」がある幸福──スポーツと地方分権』と落合陽一『日本再興戦略』と山崎雅弘『歴史戦と思想戦──歴史問題の読み解き方』を読んだ。
●パヴェーゼ『祭りの夜』
●マーク・グリーニー『暗殺者の追跡』
●原尞『それまでの明日』
六年前のトリノ旅行の後に買ったパヴェーゼを、今年のトリノ旅行から帰って読み終えた。他に、島崎藤村『夜明け前』第一部(青空文庫)を十五年越しに読み終えた。
エンタメ系(海外)ではグレイマン・シリーズ最新作。『イスラム最終戦争』も安定していた。
リー・チャイルド『ミッドナイト・ライン』、ダン・ブラウン『オリジン』、ジェフリー ディーヴァー『ウォッチメイカー』も堪能できた。
ブライアン・フリーマントルのチャーリー・マフィンシリーズ完結篇(『顔をなくした男』『魂をなくした男』)をほぼ十年ぶりに読んだ。
トマス・ハリス『カリ・モーラ』はやや不発。
新規開拓ではマイクル・コナリー『エコー・パーク』『贖罪の街』とスティーヴン・ハンター『狙撃手のゲーム』。
年末年始をダヴィド・ラーゲルクランツ『ミレニアム6 死すべき女』で過ごす予定。
国内では他に大沢在昌『暗約領域 新宿鮫11』と真山仁『トリガー』。どちらもやや不発。
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- 連載〈心霊現象の解釈学〉第17回●
ドゥルーズは幽霊を見たか
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広坂朋信
前々回(第15回)の終わりに、ベルクソンによる幽霊の理論、死者の幻の意
義と発生についての説明を検討し、それは「幽霊は想像力の産物と言っている
のに等しい」と書いてしまったが、これについては撤回する。
G・バシュラールも「イメージの概念が大きな外延をえているベルクソンの
著作『物質と記憶』のなかでは、生産的想像力にわずか一度言及されているに
すぎない」(『空間の詩学』ちくま学芸文庫、p34)と言うように、ベルクソ
ン哲学は想像力に大きな役割を与えてはいない。ちなみに、引用した文で「イ
メージ」と訳されているのは、原書ではimageだが、ベルクソンが『物質と記
憶』でこの語に与えた意味は独特で、現代の日本語には適当な訳語が見あたら
ず「イマージュ」とカタカナ書きされるのが通例である。
もっとも、バシュラールだけでなく、サルトルもこのイマージュを想像力論
の文脈で受けとめて批判しているくらいだから、フランス人にもわかりづらい
ものらしい。ベルクソンは、人間の感覚がとらえる物質の諸性質が物質そのも
のと本質的に異なるものではない、つまり、カント流の現象と物自体の関係で
はなく、部分と全体の関係にあるということを言おうとしてimageという語を
用いている。
もう一つ、言い訳を付け加えると、私がこんな誤読をしたのは、私の心霊学
の関心のあり方に原因がある。
(Webに続く)
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- 連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
第54章 夢/パースペクティヴ/時間(その5)
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-54.html
中原紀生
夢のパースペクティヴの四次元をめぐる動態論の要点はふたつ、その一は
「P4⇒P3」のヴァーティカルで力動的な関係性であり、その二は
「P1⇔P2」のホリゾンタルで相互反転的な関係性にあります。
このうち、「P4⇒P3」の垂直運動については、前章で参照した文献類の
なかで、デュナミスからエネルゲイアへ、バーチュアルな潜勢態からアクチュ
アルな現勢態へ、作るものから作られたものへ、ゾーエー(生死未分の根源的
生)からビオス(個体的生)へ、見えない型(不可能な統合・無)から見えな
い形(潜在的統合)もしくは見える型(可能的統合)へ、等々、様々な言い方
で、(微妙な概念的ニュアンスの差異をはらみながら)、論じられていました。
(私はここで「P4⇒P3」があらわすヴァーティカルで力動的な関係性と
「デュナミスからエネルゲイアへ、ゾーエーからビオスへ、…」の関係性とが
同型だと主張しているのであって、「P4=デュナミス、ゾーエー、…」
「P3=エネルゲイア、ビオス、…」と主張しているのではない。)
また、「P1⇔P2」の水平運動については、(「P4⇒P3」ほど多彩で
ないにしても)、自己と他者との水平的で間主体的なあいだをめぐる議論のな
かで言及されていたし、それに、第52章で取りあげた木岡伸夫氏の風景論にお
いて、可視的次元の「原風景=型」と「表現的風景=形」との間に成り立つ関
係性──第49章で引用した文章で、「種々の差異としての〈形〉から統一的な
〈型〉が誕生し、またその逆に〈型〉から無数の〈形〉が導出される、という相
互反転の過程」(『風景の論理──沈黙から語りへ』)と規定されていたもの
──は、水平的と形容していいと思います。
(Webに続く)http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-54.html
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- 連載「新・玩物草紙」●
言語島/絵 金
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-43.html
寺田 操
言語の島(言語島)とは「ごく狭い範囲に限って他の言語を用いる地域が、
海中の島のような状態で存在するもの」『大辞林』(三省堂)。山岳地方や隠
里、無人島に近い群島、地域ごとの移住でそこだけでしか通用しない言語のこ
となど。人が住まなくなれば消滅してしまう。言語島をゆっくりと反転させて
みる。どこにも存在しない、存在しているが見えない「言語島」が立ち上がっ
てくる。
森見登美彦の長篇小説『熱帯』(文藝春秋/2018・11・15)は、最
後まで読むことができない幻の本を追って本の内側に滑りこんだ男の不思議な
冒険譚だ。孤島の浜辺に流れついた記憶喪失の男は、島々は魔王の「創造の魔
術」の裡にあり、消えたり現われたりするのだと聞かされた。密林のなかの観
測所、砲台のある島、地下牢の囚人、謎の組織学団、不可視の群島」の海図。
世界と一体化したような海域で起こる謎めいた現象……。
(Webに続く)
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- 連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
第52章 夢/パースペクティヴ/時間(その3)
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第53章 夢/パースペクティヴ/時間(その4)
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中原紀生
小西甚一氏が論じた「反射視点」は、次の三つの次元において、これをとら
えることができます。
第一、『安宅』の「勧進帳の有無なんか、とても意識している余裕が無い」
弁慶や、『隅田川』の「悲痛さが全心身に充ち満ちている」母のような「作中
人物の現実」、すなわち身心の状況にかかわる次元。
第二、シテが「当人の動作や状態をいちおう地謡の視点に移し、地謡という
鏡に映った自分を謡う」と規定される、歌ないし語りの次元。
第三、「自分自身から脱け出して、三人称の世界に位置をしめ」るシテの意
識、あるいは「自分の心を観客の立場へ移し、その立場からさらに自分の演技
をながめる」演者の心といった、語り手=見られる者と聞き手=見る者との主
体間の関係性の次元、より一般的には、私のパースペクティヴと他者のパース
ペクティヴが交換される次元。
演劇としての能に着目すれば、次のように表現することができるでしょう。
(Webに続く)http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-52.html
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- 連載〈心霊現象の解釈学〉第16回●
幽霊の理論──江戸編
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広坂朋信
(7月某日)なかなか寝付けず、やっと眠りについてうとうとしていたら、
深夜、老母からの電話にたたき起こされる。玄関のドアをドンドンとたたく音
がしたので起きて行ってみたが誰もいないのだという。お父さんが帰ってきた
と言うのを、団地なので誰かが部屋を間違えたのでしょとなだめて電話を切
り、時計を見ると午前2時半、既に日付はかわって亡き父の命日であった。あ
の日、病院から知らせが来たのは午前4時前だったが、おそらくこの時間には
すでに息をひきとっていたのだろう。
ところで、こんな話がある。
(Webに続く)
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- 連載「新・玩物草紙」●
競馬妄想辞典/世界の陰画
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寺田 操
「自分の書くものについては競馬の話からはじめないと決めていた」と、乗峯
栄一『競馬妄想事典』あおぞら書房/2018・6・26)――には、やはり
ね、と納得させられた。「競馬以外から話をはじめる」を「あなたのコラムは
これでいいんです」と懐の広いところをみせてくれた編集長との出会いは、
「乗峯栄一スタイル」を実行・貫徹できるチャンスとなったことを考えれば、
書き手としてのポリシーは大切にしないといけないことの教訓だ。
(Webに続く)
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●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
第50章 夢/パースペクティヴ/時間(その1)
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第51章 夢/パースペクティヴ/時間(その2)
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中原紀生
《かつては歌というものは、記憶のためのものだったのだろう。叙事詩と呼
ばれる、歴史を残すための記憶代わりに歌い継がれてきたものに違いない。
だが、やがてそれは変質してゆく──「その時何が起きたのか」ではなく、
「その時何を感じたか」が歌われるようになったのだ。人間がつかのまの生
のあいだに体験する、普遍の感情、普遍の心情を。》(恩田陸『蜜蜂と遠
雷』)
■夢、文字以前の世界の記憶
まず、先付の話題から。
縁あって、ある事業家の呼びかけで始まった、持続可能な未来社会の構想
とその実践をめざす人々の集いに加わり、まず初年度のプログラム(構想篇)
として企画された研究会、具体的には、能楽師の安田登さんを講師に招き、
炎天下の京都は建仁寺の塔頭・両足院にて催された座学と実習(能の舞の極
めて初歩的な手ほどき)、そして祇園花見小路の小料亭に場を移しての懇親
会に参加する機会を得ました。
(Webに続く)http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-50.html
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●連載〈心霊現象の解釈学〉第15回●
幽霊の理論
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-15.html
広坂朋信
幽霊は心霊学の特権的な対象である。幽霊の定義には歴史的な変遷、文化
的な差異があり、それについては、例えばJ=C・シュミット『中世の幽霊』
(みすず書房)や最近では小山聡子・松本健太郎編『幽霊の歴史文化学』
(思文閣)などの研究があるが、私は、幽霊とは「死んだ人の幻」であると
定義する。比喩として人以外の幽霊もありえるが、私の考えでは、その原型
はやはり人のかたちをした幻である。
■単なる経験の対象としての幽霊
幽霊についてあらためて考えてみる。日本語でいう「幽霊」は、死霊とも
亡霊ともいう。死霊も亡霊も死んだ人の霊という意味である。
霊魂というものは、人の生命活動や意識活動の実体であると考えられてい
る。しかし、幽霊を言葉通りに死者の霊魂だとして厳密に考えようとすると、
心身問題や他我問題のような不都合が起きる。そこで、この幽霊というもの
を、観念的に生命活動や意識活動の実体である霊魂だとはせずに、経験にあ
たえられるままに人の姿のことだとしておく。
経験の対象としての幽霊とは、死んだ人の幻である。こう言ったからとい
って幽霊に出会うという体験のリアリティを否定したことにはならない。幻
とは見たり聞こえたりしているのに触れることができない、あるいは、たっ
た今まで触れることさえできたのに気がつけば跡形もなく消えてしまう、そ
ういう現象をいうのである。
想像してみてほしい、もし幽霊が幻でないとしたら、どうなるだろう。
(Webに続く)http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-15.html
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●連載「新・玩物草紙」●
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寺田 操
鳥瞰図
6月の北大阪地震、7月の大雨に、8月の逆走台風、9月には強風と高波台
風。日常の場所で頻繁に異常事態が起きた夏だった。スマートホンへの地震
発生や大雨による避難勧告なども出た。危険個所と避難場所を示した防災マ
ップを手元から離せない日々だったが、平面図では山の高さや河川の幅、路
線バスや電車のラインも不明だ。避難判断の目安にする視覚的な情報に乏し
い。簡単な鳥瞰図のような工夫が欲しいと切実に思った。
本渡章『鳥瞰図』140B/2018・7・18)は、江戸時代の歌川広重
から21世紀の絵師までを網羅して、日本全国の鳥瞰図約100点を収録し
たパノラマの世界だ。「鳥瞰図」とは、風景を鳥の目のように高い所から俯
瞰して描いた広大なパノラマ(鳥目絵とも)だ。「大正の広重」と呼ばれた
鳥瞰図の絵師・吉田初三郎は、浮世絵の伝統を「鳥瞰図」によみがえらせた
いという使命感を抱いていた。空前の鳥瞰図ブームが起きたのは、大正から
昭和にかけての飛行機の出現と鉄道旅行ブームの背景もある。吉田をはじめ
とした絵師たちは、観光案内、町絵図、路線図など「遊覧」をキーワードに
鳥瞰図の方法を取り入れたモダンでユニークな地図を描いた。
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