『レヴィナス 無起源からの思考』

斎藤慶典さんの『レヴィナス 無起源からの思考』を買った。
この人の作品では同じ講談社選書メチエから出た『フッサール 起源への哲学』を読んで陶酔したことがある。
本書はその姉妹編。
内田樹さんの『他者と死者』を筆頭にレヴィナス関連本にはハズレがないので期待できる。
木村敏さんの『関係としての自己』の101頁から104頁にかけてレヴィナスの「汝殺すなかれ」をめぐる考察が出てくる。
いわく、レヴィナスの「存在の外部」としての他性は、アクチュアルな「存在」(アポロン的・ビオス的生命=個別的生命)の背後に開けているヴァーチュアルな「生成」(ディオニューソス的・ゾーエー的生命=生命それ自身)の深淵を覗き見たものである。

「個別化の極限において、人間はいっさいの存在のアポロン的刻印を異物として抹消し、純粋無垢なディオニューソス的生成の陶酔に浸ろうとする。レヴィナスの他者が発する「汝殺すなかれ」の哀願は、この破壊衝動におののく個別的生命の叫びではないのか。」(103-104頁)

レヴィナスの思想に対する異和感(といってもレヴィナスの著書を実地に体験してのものではない)の理由がどこにあるのか、斎藤慶典さんの濃厚な議論につきあって確認してみよう。