〈道〉という共同体、道を伝えること

 黒川信重著『オイラー、リーマン、ラマヌジャン──時空を超えた数学者の接点』の副題に関連して、尼ヶ崎彬著『花鳥の使──歌の道の詩学Ⅰ』のあとがきに興味深いことが書いてあった。
 大学の研究室で六年間、著者は「日本美学の最良の遺産」である歌論を読みつづけた。そのきっかけは、藤原俊成の『古来風体抄』を読んである疑問にとらわれたことにある。俊成は『摩訶止観』初段に記された釈迦以来の仏法相承の系譜について「尊さも起る」と書いている。このマタイ伝冒頭の「アブラハム、イサクを生み、イサク、ヤコブを生み」云々と続くキリストの系図に似たうんざりとさせられる記述の何が俊成の感動を呼んだのだろうか。
「疑問は胸の底にわだかまったまま日が過ぎた。そしてある時、ふと思い当たったのである。俊成の考える〈歌の道〉とは〈仏の道〉と同じものではないのか。それは、和歌という作品の集積であるよりも、世界を見る見方そのもののことではないのか。この時、私には、俊成がなぜ仏法の相承の系譜に感動したのかがわかったような気がしたのである。」
 以下、下手な要約をほどこすより、原文を丸ごと抜き書きしておく。


《釈迦は世界の実相を見てしまう。その瞬間に彼は孤独となる。彼の外に誰一人、世界をそのように見ている者はないからだ。人々は〈世間〉の中を生き、釈迦一人が〈出世間〉の人となって、異邦人の如く立っている。しかし真実を見てしまった者は見てしまった者であって、もう元に戻ることはできない。彼は自分の見たものを人に伝えようとする。しかしその言葉は、たとえば「花は紅、柳は緑」というような不器用なものである外はなく、誤解の種を増やすにすぎない。伝えるべきは、世界の新しい姿ではなく、世界を見る新しい眼でなければならない。しかし、この眼の伝承は、説法によっても訓練によっても、うまくゆかない。真理を求めて弟子は数多く集まってくるが、彼らは師の言葉を〈世間〉の基準で理解して有難がるばかりである。禅門の伝えによれば、言葉に絶望した釈迦は、ある日講壇でただ花を拈ってみせる。その時、聴衆の中の迦葉が、ただ一人彼に微笑を返したという。釈迦は、この時はじめて、自分がもはや孤独ではないことを知った。少なくともここに一人、自分と同じ眼をもって世界を見る者がいるからだ。心は継承された。すなわち、〈道〉の成立である。同時に、迦葉には責任が生じる。いかにして〈道〉を伝えてゆくか。彼は、自分の心と同じ心を持つ者を、少くとも一人は育てねばならない。釈迦にとってさえ困難であったこの仕事が、彼に容易であったはずはない。しかし、とにかく彼は、阿難という同志をつくることに成功する。〈道〉は滅びなかったのである。そして、代々伝えて二十三人、釈迦を含めて二十四人。この二十四人の名が伝わっていることは、殆ど不可能と見える心の伝承のために手を差しのべた二十三人の師と、それに応えてついに世界の真実を見ることに成功した二十三人の弟子との、一つの共同体が確かにあったことの証しである。そう思えば、この伝法の系譜を見て「尊さ」を感じないわけがあろうか。──俊成はそう考えたにちがいない。そして、彼にとって〈歌の道〉とは、まさにもう一つの〈出世間〉の心を伝える道であった。天才は孤独かもしれないが、道の人は孤独ではない。同じ道を行く仲間がいるからである。ただ、この仲間は、必ずしも同じ時間と空間を生きているとは限らない。遠く唐天竺のこともあれば、数百年を距てることもあるだろう。しかし〈道〉という共同体は、時空を超えて成立しているのである。道の友は、たとえ時代を距てても、同じ心を分けもつ仲間であることを確信し、優しく微笑みを交すことができる。私は、俊成が、道の先輩の古人たちと、手をとりあってなか空を歩むイメージを思い泛べていた。そして、なぜかそのイメージにたわいもなく感動していた。
 道を継いだ人は、道を伝える義務がある。俊成は、自らの心を誰かに伝えねばならない。しかし俊成は、「この心は、年ごろも、いかで申のべんとは思ふ給ふるを、心には動きながら言葉には出しがたく、胸には覚えながら、口には述べがたく」と言う。つまり〈歌の道〉も、言葉によって語り伝えることのできぬものである。しかし、遠からぬ死を予感しつつ、彼はこれを何とか語ろうとする。天台智邈が『摩訶止観』で試みたように。
 このように考えた時、『古来風体抄』は、私にとってその姿を一変した。一言一句にこめられた俊成の思い(皮肉・苛立ち・願ひ・訴え等)が、紙上から自ら立ち上ってくるように思われた。そして「苔の袖も朝露繁きにつけて、する墨もかつ(涙で)洗はれ、老の筆の跡もいとゞ乱れながら記し終りぬるになん」という序文の結びに、確かに俊成の涙を見たように思ったのである。》(266-267頁)


 眼は自分自身を見ることはできない(認識主体は認識客体ではない、あるいは能動態と受動態は異なる)とは言い古された言い方だが、「世界の実相」(たとえ不器用なものではあっても、それは言葉でもって語ることができる)をではなく、言葉には出しがたく口には述べがたい「世界の実相を見る眼(心)」そのものをいかにして伝えるか、現に伝わってしまうのかという問題は、たしかに謎めいている。
 ここに出てくる「心」もしくは「眼」を「〈私〉」に、「仏の道」や「歌の道」を「哲学の道」(ハイデガーは死の数日前に「全集編集上の留意」として、「道。著作ではない」(Wege-nicht Werke)という覚書を書き残した)に置き換えて、「哲学を伝えること」(永井均)の実相を考えてみる。それが現下の私の関心事である。