『現代思想としてのギリシア哲学』『神狩り』ほか

ちくま学芸文庫から古東哲明さんの『現代思想としてのギリシア哲学』が刊行された。
この本は以前講談社の選書メチエ版で読み、とても興奮した。
図書館で借りたのでいつか常備用に買い求めておこうと思っていたし、なによりも永井均さんが解説を書いているので、選書メチエから同日(4月10日)付けで出たばかりの『他界からのまなざし──臨生の思想』とあわせて速攻で買った。
古東さんの本では『ハイデガー=存在神秘の哲学』も素晴らしかった。
そのあまりの濃度に圧倒され序章だけ読んで中断している『〈在る〉ことの不思議』ともども、しばらく古東さんの骨太の叙述に浸ってみよう。
(次回の「マルジナリア」は「哲学のオーモリ」ではなく「Dr.コトーの哲学診療所」とでも。)
「骨太の叙述」は永井均の言葉。
「私の哲学上の仕事は、いわば古東哲学の内部にあって、その細部を穿り返しては埋めなおすような作業にすぎない」と永井さんは書いている。
書店を出て花見がてら電車に乗って明石へ出向く。
市の図書館で古東さんの『ハイデガー=存在神秘の哲学』を含め八冊の本を借りてきた。
そのうちの一冊、山田正紀『神狩り』を読了。
死の三年前、アイルランド東海岸に立つウィトゲンシュタインの苦悩と決意をプロローグとして、神戸の六甲で「古代文字」が発見されるところから『神狩り』は始まる。
論理神学もしくは言語神学のアイデアは面白い(きっと作品発表当時は斬新で画期的だったのだろう)が、長い序章のままで終わった感じ。
若書きの痕跡をとどめた文章が初々しい。
管啓次郎『オムニフォン──〈世界の響き〉の詩学』も少し読む。
「私とは私がこれまでに耳をさらしたすべての音の集積にすぎない」(6頁)。
この人の本を読むのは初めてだが、高純度の文章は秀逸。