『神と哲学』

久しぶりに姫路に顔を出す。
読み終えた本や雑誌を段ボール一箱に梱包して宅急便で送っていたのが着いていた。
高校の頃まで住んでいた二階の部屋(いまは書庫兼物置になっている)にそのまま開けずに放りこむ。
マンガ雑誌でも眺めてのんびりすごそうと思っていたが、軽い気持ちで読み始めたジルソンの『神と哲学』が俄然面白くなって一気に読了。
四つの講義(「神とギリシア哲学」「神とキリスト教哲学」「神と近代哲学」「神と現代哲学」)を収めた二百頁に満たない小冊子だけれどけっこう濃い。
たかだか四頁ほどのスピノザをめぐる叙述が際立っていた。
スピノザの宗教は、哲学だけによって人間の救済に到るにはどうすればよいかという問に対する、形而上学的に百パーセント純粋な解答である。」(128頁)
スピノザ形而上学的実験は、少なくとも次のような断案の決定的証明となったことは確かである。すなわちそれは、およそいかなる宗教的な神であれ、その真の名が「在る者」でない神は単なる神話にすぎないということである。」(129頁)
いっそ全頁を抜き書きしておきたい。
スピノザを「神に酔える人」と呼んだのはノヴァーリスである。
うかつにもジルソンの本を読むまで気がつかなかった。
ためしに中井章子さんの『ノヴァーリスと自然神秘思想』を見ると40頁にその断章が引用されている。
この本はかつて熱読したものだから、間違いなく知っていたはず。
ノヴァーリスといえば、古東哲明さんの『現代思想としてのギリシア哲学』第二章「逆接の宇宙──ヘラクレイトス」の扉に「矛盾律を否定することこそ、より高次の論理学の最高の課題であろう」という断章が掲げられていた。
ちなみに「キリスト教の神を見失った世界が、この神を見いだす以前の世界[タレスプラトンの世界]に似てくるのは、やむをえないことである」(『神と哲学』166頁)というジルソンの指摘は、というより『神と哲学』の第一章そのものが『現代思想としてのギリシア哲学』と響きあっている。