『『パンセ』数学的思考』

吉永良正『『パンセ』数学的思考』読了。
モンテーニュの『エセー』と『パンセ』と『徒然草』は枕頭の書、無人島へのスプートニク(旅の道連れ)その他言い方はなんであれ、愛読書というよりはもう少し切実に身体の内側に寄り添ったかたちで読みつづけていきたいとかねがね思っていた。
松岡正剛さんの言葉を借りれば「言葉のチューインガムのように噛む」とか「本を噛む」といった感覚で(「千夜千冊」第三百六十七夜)。
あと一冊日本の古典を選び西欧と日本のバランスをとりたいとも思っていて、そんなことに気をとられているから肝心の『エセー』や『パンセ』や『徒然草』を読む(噛む)時間がなかなかとれない。
で、(「理科系の哲学入門」とカバー裏に謳ってある)『『パンセ』数学的思考』のテーマは「パスカルの思想には数学的思考が通奏低音のようにつねに流れている」(100頁)というもの。
たとえば「パスカルは自然を見たままに観察したというよりも、数学的な構想力によってそれをモデル化し、そこに無限から無までを貫く一様なフラクタル構造を想定していた」(98頁)といった具合。
この話題が出てくるのが第1回「宇宙空間の永遠の沈黙」で、第2回「無限大と無限小の中間」では章名に書かれている話題や真空をめぐる話題が取り上げられ、第3回「パスカルの数学的思考」では確率論の話が出てきて『パンセ』後半の宗教論への入り口あたりまで案内してくれる。
『パンセ』の断章のすべては祈りのなかで書き留められたものだ(132頁)とか、パスカルは二○世紀の思想家シモーヌ・ヴェイユとその兄で大数学者のアンドレ・ヴェイユをいっしょにしたような人物だった(133頁)とか、なかなか含蓄の深い言葉もちりばめられている。