「私的言語」に関する覚え書き(補遺)

昨日書いた「のおもいつき」のネタを二つ、後日の噴飯(最後の噴飯)の日のために記録しておく。
その1は、柄谷行人著『世界共和国へ』の「普遍宗教」をあつかった箇所に出てくる。

ここで、私が考えたいのは、宗教史や宗教社会学において語られてきた問題を、交換様式からとらえなおすことです。たとえば、宗教は呪術の段階から発展したと考えられていますが、呪術とは、超越的・超感性的な何かへの、互酬的な関係です。すなわち、超感性的な何かに贈与する(供犠を与える)ことによって、それに負い目を与えて人の思う通りにすることが、呪術なのです。ウェーバーは、祈願、供犠、崇拝という宗教的な形態が、呪術に由来するのみならず、ほとんどそれを脱していないことを指摘しています。
 預言者宗教はこうした呪術を否定しますが、そこでもやはり呪術が強く残る。《宗教的行為は「神礼拝」ではなくて、「神強制」であり、神への呼びかけは、祈りではなくて呪文である》。《すなわち、「与えられんがために、われ与う」(Du ut des)というのが、広くゆきわたっているその根本的特質である。このような性格は、あらゆる時代とあらゆる民族の日常的宗教性ならびに大衆的宗教性にのみならず、あらゆる宗教にもそなわっている。「此岸的な」外面的災禍を避け、また「此岸的な」外面的利益に心を傾けること、こういったことが、もっとも彼岸的な諸宗教においてさえも、あらゆる通常の「祈り」の内容をなしているのである》(『宗教社会学』、武藤一雄ほか訳)。
 ウェーバーが指摘する「呪術から宗教へ」あるいは「呪術師から祭司階級へ」の変化は、社会的には、共同体から国家への移行に対応するものです。そこで、祭司階級は支配階級の一環としてあります。読み書きに堪能な祭司階級が官僚体制と接合したのです。一般に、呪術師は雨乞い祈祷師ですが、メソポタミアやアラビアでは、収穫を生み出すのは雨ではなく、もっぱら灌漑であると見なされた。このことが、国王の絶対的支配を生んだわけですが、同時に、大地や人間を産み出す神ではなく、それらを「無から」創り出す神という観念を生ぜしめる一つの源泉となった、とウェーバーはいっています。(柄谷行人『世界共和国へ』89-91頁)


その2は、「晶文社WONDERLAND」に掲載された斉藤環さんの「生き延びるためのラカン第17回 ボロメオの輪の結び方」から。

だから簡単に言えば、ジョイスは妄想を持たないパラノイア患者で、作品がその妄想の代わりになったということになる。ラカンジョイスの作品が、無意識とは関係なく作られているとみなす。つまり、それは意識的に発揮された「技術」の産物だってことだ。この指摘はちょっと面白いね。シュールレアリズム運動の人たちに限らないけど、無意識こそがインスピレーションの源泉で、無意識をじょうずに解放できれば素晴らしい作品ができると信じている芸術家はいまだに多いからね。でも、そういうことを主張するような人の作品ほど、頭でっかちで観念的なものになりがちにみえるのは、どうしてなんだろう。これは僕の偏見なんだろうかなあ。
 ラカン理論によれば、もしジョイスが作品を書かなかったら、彼は精神病を発症していたことになる。なぜなら、ジョイスにおいては、「ボロメオの結び目」が外れかけていたからだ。もっと具体的に言えば、ジョイスの場合、現実界(R)と象徴界(S)が、想像界(I)を抜きにして、直接に絡まり合っていたってわけだ。
 なぜそう言えるかって?さっき引用したベケットの言葉[『フィネガンズ・ウェイク』についてベケットが述べた言葉──「これは何かについて書かれたものではなく、その何かそれ自体なのである」]を思い出してほしい。ジョイスの小説は、「何かについて書かれたもの」じゃない。これが何を意味するか。ふつう僕たちが書いたり喋ったりすること、つまり象徴的な行為は、必ず「何かについて」なされている。これはわかるね。僕たちが言葉をつかって行うことのほとんどは、きまって「何かについて」だ。こういう行為においては、僕たちはまず「現実」から意味を受け取り、それを言葉に乗せて、たがいに伝達しあっている。言い換えるなら、ここで現実界は、想像界(=「意味」)を介して、象徴界に影響を及ぼしていることになる。
 しかしジョイスの小説は「何かそれ自体」だという。この言葉の意味するところはもうわかるね。ジョイスの言葉は、そのまま出来事、つまり「現実」なんだ。だからジョイスの小説をふつうに読もうとしても、かなり難解で意味が取りづらいし、素晴らしい情景がありありと浮かんでくる、なんてこともない。ラカン的な言い回しを使うなら、そこにあるのは純粋な享楽ということになる。言語遊戯、言語実験そのものの享楽ってことだ。だから翻訳が難しいのも当然だ。アイルランド人の享楽を日本人の享楽に置き換えなきゃならないんだからねえ。