「特殊解」としての思想──『思考するカンパニー』

 熊野英介著『思考するカンパニー──欲望の大量生産から利他的モデルへ』(幻冬舎)。
 本書は、事業家という生き方を選んだ著者が、利他的モデルで世の中を変えたい、新しい産業革命をおこしたいという夢にかけた自らの思いを綴り、メッセージとして社会に問うたものだ。実に志の高い本である。いや、事業家とは本来こういう志をいだき、かつそれを現実的なかたちにしてみせる人のことを言うのだ。


《事業とは営利事業ということではなく価値をつくっていく行動を意味する。そして価値をつくる手法としては事業が最善の道なのだ。
 私は、事業とは人々が「このような人生や生活を送りたい」と考えていることを形にすることだと思う。》


 著者の志をキャッチフレーズ的に述べれば、次のようになる。
 「物と物、人と物の関係性を技術化し、自然資本(ナチュラルキャピタル)と社会関係資本ソーシャルキャピタル)を豊かにすること」。農業 Agriculture、工業 Industry の次に来る「心産業」(「フィロカルチャー Philoculture =生活文化を愛する産業」または「マインダストリー Mindustry =心をつくる産業」)を構築するすること。
 そのための手法が「カンパニー」である。それは、志を同じくする人たちが「立場や組織を越えて有機的に知識や行動を出し合い、知恵の構築を目指す」プラットフォームであり、カンパニー(企業組織)を超えるカンパニー(仲間)である。
 こうした「思想」を、著者は、世界史や日本史、和の生活技術、自然史、等々にわたる豊富な知識と独自の史観(それらは素人談義の域を超えて、本書の読み所のひとつとなっている)をまじえ、そして何よりも事業家の強みである具体的な事例、体験を挙げながら縦横に論じている。
 たとえば、著者が経営する環境ビジネス会社「アミタ」の赤字転落の経験から、環境が経済に優先する時代の到来を見越し事業モデルのシフトを図ったこと。そのアミタが現在実験的に取り組んでいる、西粟倉村や京丹後市での地域再生事業(森林酪農の経営、バイオガス発電所のプラント運営など)。
 そうした具体例をもっとたくさん読ませてほしいと思う。30年に及ぶ実践という名の試行、いや思考を企ててきた著者ならではの体験談を聞かせてほしい。もし本書に瑕(読後の不満)があるとすれば、この点だろう。
 いま「思想」という言葉を使った。著者が本書に刻み込んだ思想について、プロの社会思想史家や経済学者だったらおそらくもっと上手に、気の利いた術語や流行の概念、先達の名をあげながら、また昨今の世界的な潮流を体系づけながら、語ったことだろう。しかし、本書にはその種のよく整理された「一般解」を論じる言説にはない、ある「特殊解」としての思想の生の魅力が満ちている。そうした「思想」をかたちにしていくこと。それこそが、事業家として生きることにほかならない。
 印象に残った文章(「特殊解の連続性から法則を体系化する」)を一つ引いておく。


《利他的モデル創出の一つの手法として目指しているのは、同じ価値観を共有するコミュニティーという「特殊解」をあちこちにつくることだ。これはたとえば華道や茶道、香道など日本文化で培われてきた「道」の世界に通じるものかもしれない。
 華道では法則性や決まり事はあるが、どんな花を生けるかは個々に任される。したがって、生けられる花は四季折々で異なるし、地域によっても異なる。共通の法則性を有した「特殊解」があちらこちらでできている。同じように、持続可能な社会を目指す基本的な法則性や価値観という「精神的文化」を共有した社会が広く展開していくことは可能だと思うのだ。持続可能ということは、そこに法則性が確認できるはずなのである。
 一般には伝播力がないのが文化で、伝播力があるのが文明とされている。だから工業では一般解を重要として、どこかで始まった事業を誰もが任意に展開できるように進めてきた。特殊解は科学でないという理由で否定されてきたのだ。
 だが私は、特殊解を共有するコミュニティーの集合からなる利他的モデルは伝播して水平に展開していくものと考える。
 利己的なものは十人十色で、別々のカテゴリーが必要になる拡散型のモデルだが、相手のためという利他的な場合は収束型のモデルになると考えている。
 さらに人の役に立つような仕組みや宗教の違いを越えて、どんどん広がっていく。まねをしてもらってこそ、意味があるのだ。》