生の声を発せさせる土壌=仕掛けとしての『源氏物語』

 橋本治さんの『小林秀雄の恵み』に、こんなことが書いてある。


《もちろん、『源氏物語』の作中歌には、登場人物達の「生の声」がある。そして、登場人物達の「生の声」は、作中歌にしか聞かれない。なぜかと言えば、『源氏物語』は、作中人物に対して作者が敬語を使う物語だからである。(略)作中人物達に敬語を使う作者は、「よき人達の生の声」を緩衝し、遮る立場にさえある。そのヴェールを超えて聞こえて来る「生の声」は、ただ一つ和歌であり、『源氏物語』の作中歌は、間接話法で貫かれる文章の中に登場する、唯一の直接話法なのである。
 和歌は、敬語とは無縁の世界に存在する。であればこその「生の声」である。和歌の遣り取りをする二人の人間の間に、身分の上下はない。あっても、それを無効にすることが、和歌の遣り取りである。敬語という制度に冒された日本語の中で、和歌は唯一この規制から免れている。往古の人間がこのことを言わないのは、彼等が「敬語という制度」の中で生きているからである。だから、「やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言い出せるなり」と、『古今集』の仮名序で紀貫之が言っても、「和歌は制度から自由になった人の声である」とは言わないのである。(略)
 『源氏物語』の地の文は、和歌による「生の声」を発生させるための土壌である。『源氏物語』の地の文は、考えようによっては「和歌を存在させるためのもの」であり、『源氏物語』に登場する作中歌は、それを成り立たせる地の文と呼応して、「生の声」としてのリアリティを持つ。誰がなんと言おうと、『源氏物語』の和歌はそのような構造の上に存在していて、『源氏物語』は、そのように和歌を存在させる物語なのである。本居宣長は、そのような『源氏物語』を読むのである。》(第一章「『本居宣長』の難解」27-29頁)


 その本居宣長について、橋本治さんは、「あるいはそれは「下手の横好き」の類であったかもしれないが、本居宣長はともかく「歌を詠むことが好きな男」なのである」と書いている。


《十七八の頃から和歌を詠み始めた彼は、契沖の著作にインスパイアされて、既に「自分の歌」を自由に詠んでしまっている。宣長にとって重要なことは「自分の歌を自由に詠める=自分の声を自由に発せられる」ということであって、それが「出来ている」と思えさえすれば、その先はなくてもいい。(略)そういう人が、歌人であることを目指す必要はない。「歌を詠む」という点に於いて、本居宣長は、既に達成されているのである。(略)
 宣長は、「自由に自分の歌を詠む」ということを達成してしまっている。そうである以上、宣長にとって、「自分の詠む歌」と『源氏物語』の作中人物達の詠む歌は、「生の声を存在させる」という点に於いて同じなのである。(略)
 しかし、本居宣長と『源氏物語』の作中人物達の間には、大きな違いがある。『源氏物語』の作中人物達が自分の生の声を和歌に結実させる土壌を持っているのに対して、本居宣長にはそれがないことである。『源氏物語』の作中人物達には、『源氏物語』という「自分の生きる世界」があって、その世界は、作中人物の彼や彼女に「生の声」を発させてくれる「土壌」となる。しかし、本居宣長にはその「土壌」がない。(略)江戸時代の現実に生きる本居宣長は、『源氏物語』を欠いて存在する『源氏物語』の作中人物[「たった一人の作中人物しかいない、物語そのものを欠いて存在する『源氏物語』の作中人物」]なのである。(略)
 その「生の声」が「今の世のふり」である本居宣長は、「現実に生きる自分」も「自分の生きる現実」も否定しない。否定せずに、ただ不思議なのである。「自分は“生の声を発せられる”という点に於いて、稀有なる『源氏物語』の作中人物達と同じであるはずなのに、なぜ自分には、生きるべき『源氏物語』がないのか?」と。
 『源氏物語』にはその「土壌」はある。しかし、『源氏物語』以後にその「土壌」はない。その「土壌」はどこへ行ったのか? その「土壌」はなぜ消えたのか? 消えてしまったその「土壌」は、どこから生まれたのか?──その謎を求めて、本居宣長は「『源氏物語』に於いて“生の声を発せさせる”を可能にした土壌」のルーツ探しを始める。本居宣長はかくして、『古事記』へと向かうのである。》(同35-38頁)


 橋本治さんは、出来合いの概念語やテクニカル・タームを使わない。小林秀雄もそうだ。まして言わんや本居宣長においておやだ。
 「生の声」と「自分の生きる世界」、和歌と物語といった語彙は、ほとんどそのまま、哲学の用語になる。『源氏物語』や『古事記』という固有名もそうだ。哲学の用語というのは、もともとそういうものであるはずだ。