怠惰な休日

鹿島茂さんの『オール・アバウト・セックス』が文庫化されていたのを思い出して購入。
ドトールで珈琲を啜りながらぱらぱら読んだ。
榊まさるのことが書かれた文章が印象に残る。
あわせて買った上野修スピノザの世界──神あるいは自然』も少し読む。
その後大森荘蔵の「ことだま論」(『物と心』)の前半を読む。
129頁と130頁を読んでいて、開高健の文章のことを想った。
「われわれは屡々表現を求めて模索する。」
「こういうとき、或る「もの」「こと」が立ち現われていて、それを適切な表現で描写する、といった平板な作業ではない。」
「われわれは、それを凝視し、見定めよう、見極めようといら立つ。そこに、一つの表現(声振り、またはその想像)が立ち現われてくる。もしそれが的を射た表現であるときは、それまで渋々立ち現われていた「もの」「こと」はきっとその姿相貌を変え鮮やかにくっきりと立ち現われる。」
「われわれはその表現を文字に書きとめる。それはやっと立ち現われたその「もの」「こと」を逃がさぬように文字で縛りとめるためである。」
「創作(物語りにせよ詩歌にせよ)の場合は、ときに、初めに立ち現われる「もの」「こと」がなく、作者は或る立ち現われを作るのである。前にも述べたように、そうして作られたものは、過去に遡って作られうる。今日、太古の森の何ごとかを作り、立ち現わしめることもできる。」
家に帰って、藤本義一脚本の『悪名太鼓』を観る。
東京篇(『悪名一番』)に続く出張篇で、今度は九州が舞台。
当方の体調や気分によるバイアスかもしれないが、B級の面白さが際だった前作とは比較にならない駄作。
夜、車谷長吉の『銭金について』と『反時代的毒虫』を眺める。
怠惰な休日があっというまに過ぎていった。