スピノザ小旅行

ほんとうに龍安寺の回遊庭園はよかった。季節ごとに出かけたいと思う。
仁和寺から龍安寺までゆっくりと歩いたおかげで、昨夜はぐっすり眠れた。目覚めの頭がすっきりして気持ちに余裕が出てきた。
黄金週間中盤の三連休が今日で終わる。淡々とした一日。


昼、ドトールで『現代思想』を読む。「脳科学の最前線」を特集した2月号。
ブルーバックスの『知能の謎』と池谷裕二さんの『進化しすぎた脳』と一緒に買ったまま読まずに「熟成」させていたもの。)
茂木健一郎港千尋の対談「イメージする脳」が面白かった。
売り言葉に買い言葉、というとニュアンスは全然違うけれど、二人の言葉(脳)がお互いに刺激しあってしだいに増幅(スパーク)していく様がリアルに伝わってくる。
「根本的な世界観の変革」(茂木)へ向けてスピノザとパースとベンヤミンが切り結び、脳科学と人類学が手を携え、経験的なものと概念的なもの(理論)が神学という鍋でごとごと煮られている。
創造性が立ち上がる現場が出現している。
ダマシオが『スピノザを求めて──喜び、悲しみ、感じる脳』[Looking for Spinoza: Joy, Sorrow, and the Feeling Brain]という本を書いているらしい。
桜井直文さんの「身体がなければ精神もない」によると、「かれ[ダマシオ]の求めているスピノザはそこにはおそらくいない」。


帰りにニーチェの『キリスト教邪教です!──現代語訳『アンチクリスト』』を買う。
子どもの頃定期購読していた学年別学習雑誌に海外のSFやミステリーの翻訳を簡易製本した文庫が付録がついていて、愛読してかなり読みこんだ覚えがある。
後にちゃんとした大人向けの本で読みかえすと随分と印象が違っていた。
翻訳や抄訳ではなく翻案とでもいうのだろうか。「現代語訳」はたぶんそれと似た趣向なのだと思う。
橋本治さんの桃尻語訳とか、最近では逢坂剛さんの『奇厳城』なども。)
実は以前『エチカ』の現代語訳を試みたことがあった。
試みたといってもアバウトな構想をたてて文体をちょっと模索してみた程度なのだが、スピノザニーチェはいかにも現代語訳にふさわしい。
ニーチェの書簡に「僕には先駆者がいるのだ」というくだりがある。先駆者とはスピノザのこと。『スピノザの世界』165頁。)
湯山光俊さんの『はじめて読むニーチェ』が読みかけのまま中断している。あわせて読んでおこう。
(湯山さんとは以前メールのやりとりをしたことがある。その湯山さんの初めての単著。心して読まねば。)


第四章を再読して『脳と魂』読了。
細胞=システム=空、遺伝子=情報=色。人間は空であり、言葉は色である。
養老システム学と玄侑の仏教がつながる。
玄侑「先生はやっぱりあれですよね。科学の立場だから、口が裂けても「魂」とは言いたくない。」
養老「いや。だから言いたくないっていうよりも、魂の定義が出来ないんです。僕の場合はそれなりに定義するんですよ。だから、システムとしか言いようがないんですよ。」(187頁)
あわせて上野修スピノザの世界』読了。
一泊二日のスピノザ小旅行(実際は読み始めてから読み終えるまで12日かかったが、気分としては二日)。
「『エチカ』のこのあたり[第5部の最後、定理21から42]を読むといつも異様な緊張を感じるのだが、きっとそれは、証明している自分自身が証明されているという特異な必然性経験をしてしまうからだろう」(181頁)とか「このあたり[同定理32の系]に来ると『エチカ』はいったい何ものが語っているのかわからなくなってくる」(184頁)とか、旅のガイドブックとしては最高のフレーズだと思う。
ついでに檜垣立哉西田幾多郎の生命哲学』読了。