『仏教vs.倫理』

末木文美士著『仏教vs.倫理』(ちくま新書)を買った。
先月、同じ著者の『日本仏教史──思想史としてのアプローチ』(新潮文庫)を「発見」した。
さっそく買い求め、日々の日課のようにして読んでいるが、乾いた砂に水が染み入るようには知識が頭に吸収されない。
なんとか頭に入った事柄は、今度は熱砂に撒かれた水のように、あっという間に蒸発してしまう。
毎年この時期は、読書不毛の時をすごす。後になってふりかえってみると、この時期に悪戦苦闘した経験はどこか深いところに沈澱していて、必ず何かのかたちで生きてくる。
長年の経験でそういう巡り合わせのようなものに気づいてから、焦らずくさらずじっと我慢ができるようになった。
『仏教vs.倫理』は、今とは別の時であったなら、たぶん購入することもなかったと思う。
たまたま偶然『日本仏教史』を読んでいたから、同じ著者による新書がタイミングよく刊行された、その偶然を奇しき縁と感じて手にし、なにかしら得難い読書体験の到来を予感して買い求めた。
こういう縁に導かれて繙いた書物には、必ず何かが潜んでいる。
不足している栄養素がたくさん蓄えられた食材を、そうとは知らずに躰が求めるようなものだ。
とりあえず全体の5分の1ほどの分量を読んでみたが、『日本仏教史』と同様、ぐいぐい引き込まれるほどの興奮はない。
それでも、なんとか読み終えて、来る日のための蓄えとしておきたい。
これまでのところでは、本覚思想について書かれた箇所が印象に残っている。

《このように、本覚思想によれば、この世界はすべてそのままでよく、何ひとつ改める必要はないことになる。こうした考え方は、天台の本覚思想にもっとも典型的に見られるが、それに限らず、中世の仏教に広く見られるところであり、それをも含めて広義の本覚思想ということができる。本覚思想は中世の日本文化に大きな影響を与えた。無常を無常のままでよしとする発想は、『徒然草』などにも見えるし、自然の草木がそのまま仏の世界であるという思想は、中世の芸能や芸術、茶道・華道などにも生きている。》(28頁)