読み終わらない本はいい



保坂和志カフカ式練習帳』(文藝春秋


 昨年四月の刊行以後、ほぼ一定の進度で読み継いできた。
 おもしろいと思うところとそれほどでもないところが交互にでてきて、そのこともふくめて総じてとてもおもしろいと思った。できればいつまでも読み続けたいとも思った。
 ただ、ペチャやジジやマーちゃん、等々の猫の話だけはどうにも苦手で(なんというか保坂和志の「臆面のなさ」のようなものが遠慮なくストレートにでてくるので、そわそわ落ち着かず直視できなくなる)、最後はとうとう読み飛ばすようになった。
 あとがきに「おもしろいと思うところを拾い読みしてくれればいい」と書いてあるので、そんな読み方でいいのだろう。あとがきにそう書かれていなくてもそんな読み方をして楽しんでいい小説はきっとあるだろうとは思う。
 あとがきには「変わった形式」という言葉もでてくるが、別に変った形式の本だとは思わない。
 もっともっと実験的な書き方をしてもいいのではないかと思ったが、実験的な書き方をされていたらきっと早々と飽きてしまったことだろうとも思う。
 本書のちょうどなかほどに収められ「ここでキルケゴールの警告は注目に値する」と書き始められる文章にピンチョンの『逆光』を読んでいるという話がでてきて、そこで「読み終わらない本はいい」と保坂和志は書いている。
 これはそのまま私の『カフカ式練習帳』にたいする感想になる。
 カフカのような断片を書きとどめようと思ったことの理由が語られ、「小説は書いているかぎり終わらない」(270頁)や「小説は読んでいる時間の中にしかない」(271頁)といった保坂式命題がでてくるこの文章(「ここでキルケゴールの警告は注目に値する」という書き出しの文がそのままタイトルになった文章)はこの本の芯になると思った。
 もちろんそんなことを思いながら読むのも自由だし思わないのも勝手だ。