2007-01-01から1年間の記事一覧

生命・記号・言葉

昨日とりあげた茂木発言に出てくる「生命論的、生命哲学的な文脈」に関連して、もう一つの中沢新一の発言を、こんどは別の場所から拾っておく。 《無から有への転換がおこって、生命が出現する様子は、記号が生成するプロセスとそっくりです。記号はさきほど…

宗教から芸術へ

昨日とりあげた中沢・茂木対談で、『芸術人類学』冒頭に掲げられたレヴィ=ストロースの言葉が話題になっていた。 《どこでもいい、人間の歴史から任意の千年、あるいは二千年を取り去っても、人間の本性に関する私たちの知識は減りもせず増えもしない。唯一…

古いテクストを新しく読むということ(余禄)

一昨日に書き残したことを、もう一つだけ書いておく。「古いテクストを新しく読む」ことからは実は新しい思考は生まれてこないのではないか、にもかかわらず思考の「通時的展開」が成り立ちうるとすれば、それはいったいどういうことなのか、という二つの問…

古いテクストを新しく読むということ(補遺)

昨日はいきなり、デカルトの省察(「私はある」は私がそれをいいあらわすたびごとに真である)をめぐる「永劫回帰的」新解釈という、特大の場外ファウル(?)を予告してしまった。このことについては、いずれ近いうちに「〈私〉という共同体、哲学を伝える…

古いテクストを新しく読むということ

井筒俊彦『意識の形而上学』第一部「序」に次の文章が出てくる。 《東洋哲学全体に通底する共時的構造の把握──それが現代に生きる我々にとってどんな意義をもつのであるか、ということについては、私は過去二十年に亙って、機会あるごとに繰り返してきたので…

休日の過ごし方・三題

今日、未体験の初釜に出かける予定が、お茶の先生のお宅にご不幸ができたので取りやめになり、何の予定もない休日が降って沸いたように訪れた。天気もすこぶるいいことだし、新しく住むことになった街をゆっくりと歩いて見てまわるのも一興かと思った。なに…

〈道〉という共同体、道を伝えること

黒川信重著『オイラー、リーマン、ラマヌジャン──時空を超えた数学者の接点』の副題に関連して、尼ヶ崎彬著『花鳥の使──歌の道の詩学Ⅰ』のあとがきに興味深いことが書いてあった。 大学の研究室で六年間、著者は「日本美学の最良の遺産」である歌論を読みつ…

歌の発生と歌の道

ここ数年、古書店めぐりが面白くなってきた。「ぞっき本」という言葉の正しい意味はいまひとつ明確につかめないのだが、新刊書が刊行と同時に廉価で売られている場合(どういう流通経路で出回るのかは不明)、新品同様の本が古書として売られている場合、店…

シネマ2

ジル・ドゥルーズの翻訳本はだいたい揃えている。揃えているだけで、最後まで読み通したのは『アンチ・オイディプス』くらいで、ほとんどが読みかけか手つかずのまま、本棚に常備されている。 冬弓社の2007年度刊行予定リストに、湯山光俊さんと中山元さ…

数学の夢

先日、TVを観ていたら数学者の黒川信重氏が出演していた。なにか別の作業をしながら時折、漫然と画面を眺めていただけなので、内容はほとんど覚えていない。 黒川氏の同級生で作曲家の倉本裕基氏も出演していたこと、ゼータの不思議な世界が話題になってい…

初借り

昨年の暮れ、マンションを衝動買いして、バタバタと引越した。家のすぐ前の公園の一角に県立図書館と市立図書館が並んでいて、新刊旧刊古本絶版本全集本等々とりまぜて、手にとって眺めてみたいと思うほどの本はまあ大体のところが揃っている。それが衝動買…

初買いと初読み

暮れに引越しをして、ダンボールに囲まれて新年を迎えた。まだ荷物が片付かないし、気持ちも身体も本の並べ方も定まらないが、今朝、読みかけの本を一冊携え、家の前の公園を散歩して、駅前の書店で一冊買い求め、スタバで煙草ぬきの一時間少々をゆったりと…